今週末、二村組で “サン=テグジュペリ『星の王子さま』を恋愛小説として読む” というイベントがあるのですが、「『星の王子さま』読書会は出たい!」「でも、『星の王子さま』を恋愛小説としては読んでない……」「でも、せっかくだし出たい!」という葛藤がありまして……。そこで、とりあえず、先に自分の読みをゲロゲロ吐き出しておいて、まっさらな状態から恋愛小説として読み直そう、と思ったわけです。

……ということで、読書会とは関係ない、個人的なひとりごとですので、読む価値はありませんが、せっかくなのでラウンジブログの隅っこをお借りさせていただきます。。。


1 話相手のいない「ぼく」
 『星の王子様』で最初の印象的なエピソードは、「ぼく」が幼いころに描いた「ボアがゾウを消化している絵」の話だと思う。こんなの帽子にでも見えたらマシなほうだよ、というのが一般的な感性だろうけど、どうして大人たちは説明をしないと何も分からないのだろう、という失望感もなんとなく分かる。
 とにかく、そうして「本当に話のできる相手もなしに、たったひとりで暮らしてきた」のが、「ぼく」というキャラクターだ。「ぼく」は大人になってもなお、変わらず「子ども」であり続けていて、そのために周囲に馴染むことができず、孤独感を味わっている。
 そんな「ぼく」がサハラ砂漠に不時着し、名実ともに「たったひとり」になってしまったところから、物語は始まる。

2 説明すること/想像すること
 どうして「ぼく」はそんなにも説明を嫌がるのか。他人と分かり合うためには、ちゃんとコミュニケーションをとることが大事なんだよ、と大人になった僕なんかは思ってしまう。
 そこで、ここに述べられている大人のイメージを抜き出してみる。①ボアがゾウを消化している絵を、帽子の絵と勘違いすること。②地理、歴史、算数、文法を推奨すること。③いつも説明が必要である(わかる力がない)こと。④ブリッジ、ゴルフ、政治、ネクタイの話をすれば「ものの分かったやつ」に認定すること。
 後に王子様が箱の中にヒツジを見たように、大人が持っていないものは、目に見えない(大事な)ものを理解する想像力だ。それがないために大人は説明を要している。そして、その説明というやつは、互いのことを本当には理解していなくとも、理解しあったことにするための、便宜的なコミュニケーションに利用される。④とかを見るに、そういうイメージなんだろうと思う。

3 王子様という奇跡
 大人は互いのことを理解したフリをする。それはなぜか。互いのことを本当の意味で理解することは、不可能だと知っているからだ。人間がボアなら、その心はゾウである。自らの裡に秘めたるゾウを理解してもらえないからといって、相手に想像力がないと詰るのは「子ども」のすることだ。
 こうやって、大人はいつの間にか、ボアの中にゾウがいることを説明するようになる。鼻が長くて、耳は大きくて、灰色で、身体はもっと大きくて……、と。でも、よく考えてみれば、この説明によってゾウを形造ることはできない。説明をどれだけ重ねたところで、本当のゾウにはなりはしない。大人はとっくの昔に、本当のゾウを――、目には見えない大切なものを、諦めている。
 一方で、それを諦めていないのが「ぼく」だ。「ぼく」は本当の理解を諦めていないせいで、理解したふりをする大人と距離を置き、結果、ひとりぼっちになっている。皮肉な話ともいえる。けれど、そんな「ぼく」の前に現れた奇跡、それが王子様だ。王子様だけが説明なしにゾウを理解してくれる。王子様は、「もう一人の『ぼく』」であり、「理想的な他者(他者性のない他者)」なのだ。

4 もう一人の「ぼく」
  「ぼく」が「たったひとりで暮らしてきた」ように、王子様はたったひとり、小さな星で暮らしてきた。そして、「ぼく」が大人から目をそらし続けてきたように、王子様はバオバブの樹を引っこ抜いて、ひとりぼっちの王国を守り続けてきた。
 そんな王子様は、バラとのこじれから、数々の星を渡り歩くことになる。ここで登場する人々は、さまざまに類型化された大人たちだ。王子様も「ぼく」と同じように「大人たちを間近で見た」わけだ。もちろん、王子様も大人たちから影響を受けたりはしない。
 王子様は、「ぼく」の人生を戯画化したような冒険を経験している。

5 バラという他者
 そんな王子様と「ぼく」の唯一の違いは、バラとの出会いがあるかどうかだ。(まあ、実際には「ぼく」にとってのバラがいるから、このエピソードがあるのだろうし、「ぼく」はそれを意図的に語っていないのだろうと思うけれど。)
 バラは王子様の星に現れた、たったひとりの他者だ。現実に例えるなら、家族、恋人、親友、なんでも構わないけれど、要するに、自己の内面にまで入り込んだ、他には代えがたい存在ではあるものの、決してゾウを理解することのない明確な他者だ。
 王子様が「お花のいうことなんか、聞いちゃだめなんだよ」と言うように、バラは相互理解の難しい存在なのだ。けれど、王子様は、バラに向き合い、そして、バラを愛さねばならない。それが、自らの星に住まわせた――自らの大切な内面へ導きいれた責任なのだから。
 このバラとの関係性は、「ぼく」の物語にはないために、「ぼく」のこれからの物語を示唆しているようにも感じられる。王子様の星にもバラがやってきたように、子どもであり続けてきた「ぼく」にもバラはやってくる。そのバラと向き合うこと、それが「ぼく」の責務である。

6 読者にとっての王子様
 王子様は、「ぼく」にとって、「理想的な他者(他者性のない他者)」だ。存在しえない架空のものだ。それゆえ、「ぼく」が王子様に出会ったことはまさしく奇跡なのであって、その別れは宿命的に訪れる。
 そうして後に残るのは、王子様のいなくなった砂漠の風景――「この世でいちばん美しくて、いちばん悲しい風景」だけだ。だとしたら、この物語はバッドエンドなのだろうか。いや、そうではないはずだ。この物語は、「なぐさめを必要としている」一人の大人に向けて贈られたものなのだ。それが、バッドエンドであるはずがない。それに、現に、少なくともぼくは、この物語を読んで悲しい気持ちにはならなかった。
 それは、ひとりぼっちの「ぼく」のもとに、王子様という架空の存在が奇跡的に現れたように、ひとりぼっちの僕たちが経験する架空の物語こそが、この『星の王子様』という物語だからだ。言い換えれば、「ぼく」が王子様との一瞬の出会いを一生のなぐさめとして生きていくように、ひとりぼっちの僕たちはこの物語との出会いをなぐさめとして、これからの人生を生きていくことができるのだ。これが奇跡ではなくて、何だというのだろう。