シネマテーブルクラシック、アンドレイ・タルコフスキー「サクリファイス」(1986)に参加しました。
あとで「この映画はDVDを借りてぜひ観てほしい」と言われ、確かにそうかもしれないと思います。いくつかの印象的なシーンはさらに鮮やかだったかもしれないし、その他の普通に見えるシーンももっと記憶に焼き付くような気持ちになったかもしれません。
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シネマテーブルのグループでは、お一人が「映画館で観ました」という以外、ほとんどの人が「なんかよくわからなかった」と話されていたので、ちょっとホッとしました。私は、正直に言えば、あまりのわからなさに参加自体をキャンセルしようかなぁと直前まで思っていましたから。
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私にとってはこの映画は「出会いがしらの事故」のようなものだったのかもしれません。スタニスワフ・レムの「ソラリス」を「面白いなぁ」と思って読んでいたのでタルコフスキーの名前は知っていましたが、「サクリファイス」がどんな映画かは知らずに参加したからです。
そもそも冒頭のクレジットが5分続いたのにびっくりしました。巻き戻して時間を確認してしまったほどです。その後、話は展開するようなしないような雰囲気で続きます。しかも油断すると何かが起きています。何度か、あれ? いま何が起きた?と確認するために映像を止めました。
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わからないことも、事故のような出会いがしらの出会いも悪いことではありません。
私が結婚した相手との最初のデートで観た映画は「ガープの世界」です。「サクリファイス」よりは大分わかりやすい映画ですが、それでも最初のデートで行く映画ではなかったなと今は思います。それでも、その後、「ガープの世界」は映画だけでも4-5回観ていますし、小説も3回は読み返しています。
わからないことは悪いことではない。でもちょっとびっくりしてしまう。そんな感じでしょうか。
もちろん、それも、DVDで観ていたらまた違った印象だったのかもしれません。
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シネマテーブルのグループでは少し時代の話も出ました。この映画が公開された1986年前後の時代です。
もちろん、グループの中のお一人は1983年生まれで「80年代はものごころつく前の教科書の中のような世界です」とおっしゃっていましたから、太平洋戦争から戦後16年生まれの私にとっての大正時代のような印象でしょうか。あはは、計算が合いませんね。
20世紀少年のケンヂと同世代の私にとって80年代は「黒」の時代の始まりでした。白黒の「スタートレック」(1969-1970)が、「未知との遭遇」(1978.02)、「未来少年コナン」(1978.04)、「スターウォーズ」(1978.06)、「ガンダム」(1979.09)、と大きく変化していった時代の後の、なぜか街ゆく人の服装が色を失っていく時代。少なくともそんな風に私は感じていました。
一方で、ペレストロイカ(1985)、インテルのメモリー事業撤退(1985)、チェルノブイリ(1986)と、それまでの当たり前が一気に壊れていく時代という印象もありました。テリー・ギリアムの「未来世紀ブラジル」(1986)と「私をスキーに連れてって」(1987)が並行世界のように存在していました。
そんな時代にあってタルコフスキー「サクリファイス」(1986)は何を予感していたのでしょう。「渚にて」(1960)の世界の予感? 確かに戦後16年生まれの私はそんな世界を予感していた子どもでしたが、キューブリックの「博士の異常な愛情」(1964)はこの映画に先立つこと既に20年です。
グループで話しているうちに、私の中で「ペレストロイカ以降に続く分断の時代への予感とはまったく別のところで、ゼロ年代のセカイ系を考えていた人」という納得感が生まれてきました。私の中の靄が少しはれ、救われた気持ちです。
セカイ系の物語と捉えれば、マリアとの出来事も、子どもが子どもとしか呼ばれないことも、世界が破滅し救われることも納得できます。
「涼宮ハルヒ」の世界と同様、「君とぼく」が「世界の危機」と直接接続してしまう世界なのかもしれない。主人公の思いや危機感は、社会の存在から切り離され、そのまま世界の破滅へとシンクロしてしまう。そう考えると、主観の中での強い存在であるマリアや子どもが、私を支える傍観者として存在することも納得がいきます。
「サクリファイス」は遅れて現れた物語ではなく、少し早く表れた世界なのかもしれません。
もちろんそんな見方は私だけのものです。他の人は他の人なりの落としどころがあるのでしょう。そして、もちろん、落としどころなどなくてもよいのかもしれません。
ゆっくりと時間をかけて私の中で変化していく何かが生まれたような気がします。わかるとかわからないとかは、時間軸の中での静的な断面ではなく、もやもやいう状態を伴って変化し、成長していった結果だからです。
その意味で、冒頭5分の長いクレジットもGoogle Arts & Cultureにアクセスするきっかけにもなりました。
https://artsandculture.google.com/asset/adoration-of-the-magi/RQFL5tibYCPGOg
そういえば、この絵、ウフィツィで観たような気もします。
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ちなみに、植物好きとして思いますが、冒頭に植えた木、あれは申し訳ないけれど、生き返ることはない。もし生き返れば、それは奇跡です。私はそう思うのです。