皆様、お久しぶりでございます!

久々にブログを書きます。


今回は5月16日(日)に開催されました「飛ぶ孔雀」に参加しました。


いやぁ今回の課題本は、史上最大にわからなかったです。笑

正直、ここに何を書けばよいかわからないほど、わからない。笑

サポーターなので、諦めず読みましたが、これで読書会に参加しても大丈夫かと思いました。笑

「脳が汗をかく本」ではありますが、「冷や汗」を書きました。笑


なぜこんなにこの本がわけがわからないのか?
自分としてはこんな感じの理由です。

1.「会話が成り立っているようで、成り立っていない」
2.「話の内容が切り替わりすぎる」
3.「時系列がわからなくなる」
4.「主人公が誰なのかわからない」
5.「読めない漢字が出てくる(何でわざわざ、この字を漢字にするのかという疑問)」

ちなみに読書会の参加者から教えてもらいましたが、4と5は山尾悠子さんの本の特徴の一つでもあるらしいですね!!
そして、黒猫隊のまみさんが、全員に連絡してくれました人物相関図がなければ、更に自分は路頭に迷っていたでしょう。笑


飛ぶ孔雀は次の賞を受賞しています。


・第69回芸術選奨文部科学大臣賞受賞
・第39回日本SF大賞受賞
・第46回泉鏡花文学賞受賞

なぜなのか?
あまりにも気になって贈賞理由を調べました。

【第69回芸術選奨文部科学大臣賞受賞】
いずことも知れぬ土地に起こる,ありえない事柄が,極当たり前の出来事であるかのように綴られていく。虚構の時空のただ中に投げ込まれた読者は, しばし方向感覚を失いかねない。だが,その驚きはたちまち,確かな文学的体験に転じていく。山尾悠子氏の静謐にして精緻な文章が,奔放な想像をしっかりと支え,「ことば」のみによって全てを生み出そうとする潔い在り方が深い愉悦を生む。鏡花以来の日本幻想文学の水脈を受け継ぐ傑作の誕生だ。

【第39回日本SF大賞受賞】
『飛ぶ孔雀』については、とにかく複雑な叙述の構造を持つ、一種迷宮的とも言えるような作品を揺るぎなく綴る文章の力が凄まじい傑作である、という意見はほぼ選考委員の間で一致していました。作品の構造についての意見を交換するうちに、ある選考委員から「作者はきっとSFを書いたつもりはないのだろうが、SFは想像力の文学なので、作者にそのつもりがなくても結果的にSFの傑作になるということは起こりうる」という意見や、「これまでの作者の作品のうちでも、ガジェットなどにいかにもSF的なモチーフが使われていないにも関わらず、構造的にはむしろもっともSF的な作品であるように思われる」などの意見もありました。また本来もっと前、具体的には2000年の『山尾悠子作品集成』(国書刊行会)刊行の際に贈賞されて然るべきだったので、この機会を逃してはならないという意見も出ました。

【第46回泉鏡花文学賞受賞】
「水や死、登場人物のせりふや建物などの描写一つ一つが、鏡花の小説を血肉化、骨肉化して自分のものとした上で書かれている。泉鏡花の文学に近い資質を持った小説だと意見が一致した」「読みやすいタイプの小説ではないが、硬質な文章が心地よく、イメージに引き込まれるように読める。長いブランクを経て、小説のジャンルの限定を超えて書かれた、見事な作品だった。」

とのことでした。
ちなみに、山尾悠子さんは「日本SF大賞受賞」を受賞した際に、自分でも受賞理由わからないと言っていました。笑

自分も「Science Fiction」ではないと思いますが・・・笑

この贈賞理由を読んでみても、この本の話の内容がわかる人はいないと思いました。

むしろ、話の内容を理解するよりも、この小説の「日本語」と、日本語から醸し出される「幻想的な空気感」を楽しむものではないかと思いました。

なので、この本は他言語に翻訳されたら面白くなくなるのでは?とも思いました。

そして、猫町でわからないことを話していると、不思議とこの本について何がわからないのか冷静に考えることができますね。


また、「自分はこう思うんですけどどう思いますか?」

など話しているとやっぱり楽しいですね!!

「こんなことを想像するんだ!」

とか面白い発見に気づきますし、改めて本について考えれますね!


「冷や汗」をかいてた本が、読書会の最後には「脳が汗をかく本」に変わってました!
今回も参加してよかった!


山尾悠子さんが「泉鏡花文学賞受賞」の際に、こんなことを最後に言ってました。

「泉鏡花のラストシーンって印象的なものがたくさんある。ラストさえ決まっていればそこに至るまでは多少わかりにくくても大丈夫みたいな、変な刷り込みを受けたかもしれません」