カズオ・イシグロ「クララとお日さま」の読書会に参加しました。はじめて文学・小説というジャンルの読書会に参加したことになります。

「クララとお日さま」という話はクララの視点で話が進むため、途中まで話の意味がよくつかめません。クララの知っていることを私たちは知らないし、クララの知らないことは私たちにはわからないからです。

私にとって、下記の「ハウルの動く城」の解説動画は、そんな「クララとお日さま」を読むための良い補助線になりました。この動画では、一人称で語られる物語の構造、世界線を再構築する価値などが語られています。




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今回、読書会に向けて少し変則的な読み方もしてみました。長編読書会「独学大全」にも参加しているので、そこで記載されている技法を試してみたくなったからです。



まず一度通読しました。小説なので、そこはまずごく普通に読んだわけです。

次に《転読》を試してみました。小説に転読? ちょっと邪道だとは思います。でも「独学大全」にもあるように「書物は変わらないが、読み手は変わる」わけです。「クララとお日さま」読了した私も読む前の私とは変わっているはずです。

《転読》して、初めてこの小説が6章構成だということに気づきました。また、この小説の冒頭に「母・静子(1926-2019)をしのんで」と記されていることに心が揺れました。

次に《掬読》を試してみました。小説で?と自分でも思います。なので、第1章の中から第2章以降に関係するエピソードを探すという変則型の《問読》ともいえることをしてみました。《ラミのトポス》を応用ともいえるかもしれません。

小説の読み方としては変則的かもしれませんが、最初に通読したときに気が付かなったことにいろいろと気づけるような気がしてきて、なんだか楽しくなってきました。

第1章を一通り読み直して、全体を再び《転読》しました。自分にとって印象的なシーンやエピソードが、それぞれの章の中にどのように配置されているかを確認することができました。ぼんやりと構造のようなものが見えてくるような気がします。クララのみを通して語られていた物語の構造と仕掛けが浮かび上がってきたような気さえして、少しワクワクしました。

《検索語みがき》《シネクドキ検索》も少し使ってみました。「読書大全」に記述されている技法そのものとは異なりますが、今回「クララとお日さま」はKindleで読んでいるので、なんだか検索を使ってみたくなってしまったのです。

たとえば【RPOビル】という単語は検索すると全部で29回出てきます。しかし本の中でRPOビルは重要な意味を持ちません。説明もほとんどありません。クララが最初にいたお店の向かいのビルの名前だということだけが記述されている程度です。【RPOビル】は、その他のいくつかの言葉と同様、意味を持たない存在(ギミック)なのかもしれません。

一方、【抱擁】という言葉は全部で10回ほど現れますが、《検索語みがき》に記された《共起フレーズを集める》という意味では【長い】【つづく】という言葉と結びつけられています。シーンとしても象徴的で印象的です。その意味で【抱擁】は【RPOビル】とは対極の象徴としてのギミックなのかもしれません。

あまりに手前味噌ですが、参加している長編読書会「独学大全」の技法を応用することで私には「クララとお日さま」が幾重にも面白くなったのは確かです。

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「クララとお日さま」がSFであるかどうかは意見の分かれるところかもしれません。私自身はとても良質なSFだと感じました。世界観に破綻がなく、「あるもの」としての社会が構築された上で、その社会で起こりえることを描いていると感じたからです。

「クララとお日さま」を読んで、アーシュラ・K・ル=グウィンの「闇の左手」を改めて読み直したくなりました。「闇の左手」について、Wikipediaでは「大森望は書評で「文化人類学的な手法を駆使して、異星社会の歴史と文化をリアルに構築」した作品と評価した」と記述されています。同じことを私も「闇の左手」を読んだ当時感じました。


確かアイザック・アシモフが言っていたと思うのですが、SFの基本的な要件のひとつとして「科学的な嘘は一つ。でもそこから空想を膨らませ、どのような社会がありえるかを破綻なく記述すること」があるように私は思います。「クララとお日さま」はその要件をきちんと満たしているように私は感じるのです。

ロボットものという意味でも「クララとお日さま」はとても正統的な位置にあると私は思います。SF的な2つの問い「人工知能はいかに世界を認識するか」「人工知能は人間性という意味でチューリング・テストを通過できるか」に正面から挑んだ作品だと思うからです。

その意味でも「クララとお日さま」は、ロボット3原則とポジトロンというガジェットを導入し、そこから生まれる物語(エピソード)を描いたアシモフの「われはロボット」("I, Robot")以来の、正統的ロボットものと言えるのではないかと私は思います。往年のSFファンの一人として、「2001年宇宙の旅」のHAL9000、「われはロボット」の中のロボットたちに続き、「クララとお日さま」のクララが、ある意味、とても人間的な存在の3例目として、SFの世界で挙げられるようになった気がして、私はとても嬉しい気持ちになりました。


ちなみに、あまりにも私見ですが、「クララとお日さま」におけるクララと店長さんの関係は、「われはロボット」のロビーとロボット心理学者のスーザン・カルヴィンとの関係に似ているような気がします。「もしかしたら店長さんはロボット開発者(特にB2型の心理・認識機能の設計を担当)なのかも」と勝手に妄想してしまいました。