読書会でもお話ししましたが、私自身は、元来、自分の問題と相手の問題をぐちゃまぜにしてしまう性質だと思っています。昔、友人に、「相手を心配しているかのように言っているけれど、それは相手の問題で、あなたが心配する問題じゃないよ」と言われたこともありますし、「相手がどう思うかじゃなくて、自分がどう思っているかをまず考えたら」と言われたこともあります。
    だからかどうか、自分の問題と相手の問題を一緒にしないという考え方を初めて知ったとき、そうかと納得した記憶があります。

    そんなわけで、タフラブという言葉自体は知らなかったものの、考え方は聞きかじっていたこと、読書会の直前で本書を入手して急いで読んだこともあり、最初に読んだときは、タフラブについて深く考えたり、自分自身の問題としていろいろ考えたりするというより、これまでに読んだいろいろな話を思い出していました。
    たとえば、氷室冴子さんの「冴子の母娘草」というエッセイで描かれる氷室さんとその母親の関係は、本当に母親が娘にべったりと貼りついたような関係に思えて、もし氷室さんがあのお母さんにカウンセリングに行くように言ったらどんな反応をするんだろうなァ・・・などと考えてしまいました。
    あるいは、見捨てるのではなく、手放すのだというタフラブの考え方は、以前の二村組の課題本である「臨床とことば」のブログ に書いた、「見守る」という考え方にちょっと似てるなと思いました。
    また、結婚したら、すべての役割を家族に担わせようとすることに無理がある、という主張については、確かにそう思います。繰り返しブログに書いていますが、依存先は複数あるほうがいいというのが今の私の基本的な考えなので、家族という場所に全部の役割を持たせることは危険なのではないかと思います。

    と、そんな感じで読書会に参加しましたが、読書会でいろいろお話を聞いていたら、タフラブという考え方をどう考えたらいいのか迷いが生じてきました。
    いろいろ考えさせられる問をいただき、お話を聞かせてくださった同じテーブルの皆さま、どうもありがとうございました。