(やっぱ長編語るのに一時間半は短いよね!ということでメモ帳代わりに……。)

◯透明なマカール
・47歳男性。独身。役所勤めの九等官。担当は清書屋。愛すべき主人公マカール・ジェーヴシキンのプロフィールです。
・この清書屋という仕事、同僚から木っ端役人の仕事だと揶揄されていたり、マカール本人も文章を書く能力がないために清書をしていることを認めているように、役所の仕事でもいわゆる「窓際」の仕事のようです。
・また、役所の中で「意地の悪い男」にいじめられた話も出てきますが、マカールは、コミュニケーションが非常に苦手で、社内政治がまるで出来ない人物でもあるようです。仕事が出来ない上に、同僚との付き合いも苦手となると、役所の中でも最底辺の扱いを受けていたことでしょう。
・交友関係としては、前の部屋の大家とその孫娘のエピソードが少し紹介されるくらいで、唯一交流のある(両方の)エメリアンとの間柄もそれほどではなさそうなところからすれば、家族も友人も恋人もいないまったくのひとりぼっちと言えそうです。
・仕事も出来ず、友人もいない、社会においては透明人間であると言っていいほど、誰にも何にも影響を及ぼしていない人物、それがこのマカールという男です。

◯名付けようのない愛情
・この透明人間を自尊心ある一人の人間にしてくれたのが、ヒロインのワルワーラです。この二人の関係のうち判明しているのは「ワルワーラがブイコフに辱めを受けそうになり、伏せっていた間に看病をしたことで距離を縮めた、遠い親戚」ということくらいです。マカールは、アンナの仕事ともワルワーラの親とも関係がなさそうですし、そもそも交友関係の広い人物でもないので、二人の関係は本当に謎に包まれています。
(マカールはアンナのこともブイコフのことも知らなそうなので、ワルワーラがアンナ邸から逃れてきたところをマカールが偶然拾ったのかもしれません。)
・と、経緯は不明ですが、マカールはワルワーラのことを、人生のすべてを捧げるくらいに愛しています。この愛情について、マカールは「父親のような愛情」だと弁明していますが、むしろそういった弁明こそ不自然ですし、周囲からは愛人を囲っているように噂されていて、マカール本人もそう見られないように気を付けていたところからすると、マカール本人も含めて、登場人物の多くは恋心として捉えているようです。
・ただ、これを鵜呑みにして、単純に「マカールはワルワーラに恋心を抱いていた」とする解釈には違和感を覚えます。そもそも、他人に対する愛情を、恋心だとか友情だとか親心だとか区別できるのは、その人に多彩な交友関係があるからではないでしょうか。恋人も友人も家族もいない天涯孤独のマカールにとって、ワルワーラは世界でたった一人の愛情を注げる存在であり、その愛情は「ただ漠然とした愛情」という以外に名付けられないものなのだと思います。恋心も友情も親心もすべてを含んだものと言ってもよいかもしれません。

◯貧しき人々
・マカールの転落はこのワルワーラへの傾倒から始まります。初めは花やお菓子というちょっとした「貢ぎ物」で済んでいたのがエスカレートしていきます。そして、ワルワーラが家庭教師として働きに出るか悩んでいるという話を聞くに至って、彼女を止めるため自らの資力を大きく見せようとして、観劇に誘うという贅沢をしてしまい、とうとうマカールは破産寸前になってしまいます。
・窓際役人だったマカールは、これまでも決して裕福とは言えない生活だったわけですが、貧困と言える状態にまで陥ったのはこれが初めてだったのではないでしょうか。身なりも整えられず、家賃も払えず、借金に奔走するマカールは、まさしく「貧しき人々」の一人です。
・作品は、偶然が重なり閣下に百ルーブルを恵んでもらうという、デウス・エクス・マキナ的なご都合主義によって解決され、ワルワーラとの別れというラストへ向かっていくのですが、マカールの物語としては、その直前のエピソードがクライマックスであるように感じます。
・借金の当てすらも失ったマカールは、ゴロホヴァヤ通りをぶらぶらして様々な「貧しき人々」を観察しながら、どんな貧乏人にも値打ちがーー言い換えれば自尊心(「人間としての尊厳」と言ってもいいかも)がある、ということに気付きます。こうして、自らの自尊心に気付いたマカールは、生活に困窮しているにも関わらず、その最後の資金をゴルシコフに恵むという決断をするのです。この決断にこそ、この作品の最も大きなテーマの一つ、「貧しき人々の持つ自尊心」が表れているのではないでしょうか。