負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。――太宰治「黄金風景」



 私は子供のときから、好き嫌いの激しい読者であった。

 太宰を嫌った。私は、殊に『人間失格』を蔑み、それゆえ『人間失格』を好む友人をも軽蔑した。
 K君は『人間失格』の信奉者である。別の本の話をしていても、思考がどう繋がっているのか、何度も何度も『人間失格』の話に脱線してしまい、おい、とその度毎会話の主旨を思い出させてやらないと、片手に別の本、もう片手に常に持ち歩いている『人間失格』を持ったまま、いつまでも「葉ちゃんが本当はいかに優しい人なのか」を語っているのだ。
 読みが浅いのではないか、と思われた。
 他の人にも、『人間失格』を語り、面倒くさそうに聞き流されている姿を、私はよく見かけたものであるが、子供心にも、うすみっともなく、妙に疳にさわって、おい、K君、また『人間失格』の話をしているぞ、などと大人びた、いま思えば余計なお世話だとも思えるような言葉を投げかけて、それで足りずに、ある日、K君をよびつけ、「好きだと言うなら、もっとその作品とまじめに向き合ったらどうだ。君はその主人公を本当は優しいだの実は善人だなどと言うが、そいつが作品中で「おどおど」してみせることで女の同情を買っているように、作品自体がまがい物の弱さを露悪的に提示し、読者の心のすきまに入り込もうとしているのが、見え透いているじゃないか。ただ、読み手の同情を買おうとしているだけでも侮蔑に値するが、自ら「神様みたいないい子でした。」と書いてしまうことに至っては、救いようもなく愚劣だ。これを信奉する君自身も「その本の苦しみが分かる君こそが本当の意味で優しい人だ」とでも言ってもらいたいから、皆にそのくだらない本の話ばかりするのだろう。だがそれは君の敬愛する名著の言葉を借りるなら、恥の多い行為だ」と私は遂に癇癪をおこし、K君の一番大切にしているものを侮辱した。
 たしかに侮辱した筈なのに、K君は両肩を震わせたかと思うと、がばと泣き伏し、泣き泣きいった。「たしかに君の言うとおりかもしれない。一生この本は読まない」うめくような口調で、とぎれ、とぎれそういったので、私は、流石にいやな気がした。それ以降、K君は『人間失格』に限らず、本を読んでいる様子を見せなくなった。
 そうして、私自身も、何を読んでいるのか、読んでどう思ったのか、本について誰かに話すということをしなくなった。

 一昨年、私は就職をし、地方から都心へ出て、誰一人知る人のいない中、会社の同期と親交を結び、日々飲み会やコンパを通じて、一年かけてようやく、友達と呼べる存在を得たと思ったとたん、感染症が流行した。
 リモートワークが中心となり、飲み会を禁止された私は、たちまち孤独に追いやられ、オンライン上で読書について語るコミュニティを見つけ、そのころには子供のころの記憶が薄れてきていたということもあり、毎夜毎夜の読書会だけが、ただそれだけが、誰かと繋がっている感覚を教えてくれ、久々に仕事で関わった同期の名前を思い出せなくなっていたほど、人間関係のすべてを読書会にゆだねてしまっていた。
 そのころのこと、文学サークルの四十に近い、痩せて小柄の運営ボランティアがオンライン上で、SNSの私のプロフィールと、それから読書会参加し放題の私の様子とを、つくづく見比べ、おや、あなた、運営ボランティアをやってみませんか? そう言う運営ボランティアのことばには、私への強い期待が含まれていたので、「ぜひとも」私はよろこんで答えた「でもどうして?」
 運営ボランティアは痩せた顔にくるしいばかりにいっぱいの笑をたたえて、
「やあ。そう言っていただけると思っていました。あなたの参加回数やキャラクターから運営ボランティアにぴったりだと思っていたのです」
 私は自分でも気づかないうちに、このコミュニティの主要人物になっていたのである。
「ごらんの通り」私は、にこりと表情を作って応じた。「ただ、参加するようになって日は浅いのですが」
「とんでもない」運営ボランティアは、楽しげに笑いながら、「こう見えて、私自身も参加し始めてからそれほど日は経っていないのです」
 私は安心した。
「ところで」と運営ボランティアは少し声をひくめ、「明日の『人間失格』読書会から参加してもらえませんか?」
「『人間失格』?」すぐには呑みこめなかった。
「『人間失格』ですよ。お読みでしょう。これから読んでも十分間に合います――」
 思い出した。ああ、と思わずうめいて、私はパソコンの前で打ちひしがれたまま、頭をたれて、その十年まえ、その本の信奉者に対して私が吐いた心ない言葉が、一言一句、はっきり思い出され、ほとんど座に耐えかねた。
「人手が足りないのですか?」ふと顔をあげてそんな質問を発する私のかおは、たしかに罪人、被告、卑屈な笑いをさえ浮べていたと記憶する。
「ええ、実は、そうなんです」くったくなく、そうほがらかに答えて、運営ボランティアはハンケチで額の汗をぬぐって、「かまいませんでしょうか。受付をやってもらえるだけでいいんです、詳しくはミーティングでお話しましょう」
 私は飛び上るほど、ぎょっとした。いや、まあ、予定は空いておりますが、とやんわり拒否しようとしたが、事情を話せるわけもなく私は身悶えした。
 けれども、運営ボランティアは、こちらの様子には気付かず、
「よかったです。参加予定だった運営ボランティアが二人も急用で出られなくなりましてね、残ったメンバーでは少し負担が大きかったのです。それじゃ、また明日よろしくお願いします」

 それから、翌日になって、私は仕事のことよりも、読書会のことで思い悩み、それでも何も解決策は浮かばぬまま時間になって、ミーティングの間も、受付をしている時も、司会進行の挨拶も、すべてが上の空で流れていき、気が付けば、パソコンの画面では読書会が始まっていた。『人間失格』読書会である。
 私は自分でも意外なほど、おそろしく無言でその場を乗り切ろうとした。
「○○(私のハンドルネーム)さん。きょう、まだご発言されてませんよね。これまでの会話を聞いて、思うところがあれば教えてください」
 私は、何を話せばよいか分からなくなっていた。無難なことを言って、うまく切り抜けることだって出来たには違いない。しかし、私にはその無難な感想が何一つ浮かばなくなっていた。私は、私の発言を待つ皆の視線に耐えかねて、とにかく何か発言をしなければと思い、それまで作品に対して好意的な意見が続いていたというのに、作品に批判的な意見をつらつらと述べ始めた。とはいえ、良きところで切り上げればよかったものを、くらくらして正常な判断のつかなくなっていた私は、言葉のあふれ出る勢いに任せて、とうとう、あの日K君に対して言ったような、作品に対する口汚い罵りを、読書会の参加者に向かってぶちまけていたのだ。
 皆の視線に気づき、私は立止った。見よ、これでお前は終わりだ。他人の意見を否定したお前に、ここにいる資格はない。そんな心の声が聞えて来るようだった。
「なかなか」参加者の一人が、うーんと唸った後、「面白い意見じゃないですか。もう少し聞かせてもらえませんか」
「そうですとも、そうですとも」別の参加者のうきうきした声である。「少し、他の方の意見を否定するような言い方が気にはなりました。でも、ご意見としては、なるほどと思わせられる部分が多くて、面白かったと思います」
 私はパソコンの前で泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。
 私は謝罪した。しかし、感想については嘘偽りなく話した。私こそが、この作品にまじめに向き合わなければならない。それが自分の弱さと向き合うことになるのだということに、ようやく私は気がついた。