「葉桜と魔笛」は、1939年に小説誌「新潮」6月号に掲載された太宰治の初期の短編である。
女性の独白文体で書かれたこの作品は、知人の老婦人が太宰に語り聞かせた思い出話を題材としているらしい。
その2ヶ月前の「文学界」4月号で、太宰は女性読者の有明淑から送り付けられてきた日記を基にした(というか、ほぼ書き写した)「女生徒」という短編を発表して、大いに賞賛された。
現代なら「パクリ」「盗作」と批判されて大炎上しそうな丸写し作品であったが、当時はそういうことに寛容な時代だったようだ。
よかったな、太宰。
 
ま、それはともかく、2ヶ月前の「女生徒」の高評価に気を良くした太宰がまたもや知人女性の話を元ネタにして書いた、これは「女性独白文体」作品第2弾なのだ。
ちなみに太宰は「女生徒」の成功がよっぽど忘れられなかったのか、8年後の1947年にはまたしても愛人・太田静江の日記を基にした女性独白文体の「斜陽」を発表し、これがベストセラーになるのであった。
彼のこの厚顔っぷりと、女性を自分の仕事の道具のように扱う卑劣さが、私にはどうにも不愉快なのだが、これって彼の数回に渡る心中未遂(最後は本当に死んでしまったから未遂じゃないけど)事件とも関連する気がする。
彼は執筆のみならず自殺でさえ、女を利用せずにはいられない男なのだ。
そんなわけで私は、世間では高く評価されている「女生徒」も「斜陽」も好きじゃない。
何故なら、そこに描かれているヒロインが大変気持ち悪いからだ。
太宰が元ネタにしたそれは、両方とも普通の日記ではない。
太宰に読ませるために書かれた自意識過剰日記だ。
したがって、そこに描かれた女性像には何のリアリティも感じられない。
ただただ、太宰という作家に向かって自分をアピールしているパフォーマンスでしかないのである。
 
この「葉桜と魔笛」も、例によって、妙に取り澄ましたヒロインの偽善的な語り口調が気になるのだが、ただひとつ興味深いのは、そんなヒロインの隠れた闇を太宰が底意地悪く遠回しに匂わせている点である。
余命いくばくもない妹の儚い生を悲しむ姉という美しい体裁を取りながら、この作品には性の匂いが濃厚に漂っている。
たとえば、妹がこっそり隠していた男からの手紙を見つけて読んだ時のヒロインの心情が綴られている場面。
「私も、まだその頃は二十になったばかりで、若い女としての口には言えぬ苦しみも、いろいろあったのでございます」
若い女の口に出せない苦しみって何だ?
私もかつては若い女だったけど、何のことかまったく見当もつかない。
疑問に思いつつも読み進めていくと、次の描写に突き当たる。
妹の恋がじつはプラトニックなものではなく「もっと醜くすすんでいた」ことを知ったヒロインは、
「けれども、その事実を知ってしまってからは、なおのこと妹が可哀そうで、いろいろ奇怪な空想も浮んで、私自身、胸がうずくような、甘酸っぱい、それは、いやな切ない思いで、あのような苦しみは、年ごろの女のひとでなければ、わからない、生地獄でございます」
いろいろ奇怪な空想って何だ!?
年頃の女にしかわからない生き地獄って、どんなんだ?
ヒロインの苦しみがもうすぐ死ぬ妹に対する同情であれば、べつに年頃の女じゃなくても誰もが感じる気持ちであろう。
ここでわざわざ「年頃の女にしかわからない」と言ってるのは、たぶん、同情とは別の想いだ。
それはおそらく、前出の「若い女の口に出せない苦しみ」と繋がっていて、「胸がうずくような、甘酸っぱい」気持ちであり、おそらくは「奇怪な空想」の内容とも呼応している。
そう、要するにヒロインは欲情しているのである!
若い女の性の目覚めを身のうちに抱え悶々と日々を過ごしていたところに、妹の秘密の性生活の片鱗を知り、そこからあれこれと性的な妄想をしてしまって、甘酸っぱく胸がうずくばかりの生地獄に身を焦がす……そういうことなら、非常に納得がいくではないか!
だが慎み深いヒロインはそれをはっきりと口に出せず、こんな奥歯に物の挟まったような言い回しになっているのだ。
そして、その偽善的な慎み深さを嘲笑うように、太宰はヒロインの秘めた性的願望をわざと「奇怪な空想」とか「若い女の口に出せない苦しみ」などといった言葉で、読者に暗に仄めかしているのである。
100万円賭けてもいいが、件の老婦人は自分が「奇怪な空想」をしたなんて言ってないと思う。
そこはきっと太宰のオリジナルだ。
 
太宰の意地悪さは、このタイトルにも表れている。
「葉桜と魔笛」……魔笛とはたぶんあの謎の口笛のことだろうが、なんでまた「魔笛」なのだ?
ヒロインが当時感じたように神の恵みであれば、それは「魔笛」ではなく「神笛」であろう。
また、ヒロインが後日考えたように、娘を不憫に思った父親の「一世一代の狂言」なのであれば、単に「葉桜と口笛」というタイトルでいいではないか。
何故、わざわざ「魔笛」と名付けたのか?
「魔笛」といえば、誰もが思い出すのはモーツァルトの有名なオペラだ。
おそらく太宰もそれを意識している。
そして「魔笛」は、幽閉された姫を王子が救いに行く物語であり、彼の持つ「魔笛」が二人の出会いを導く。
つまり、恋人がこっそり忍んで姫を呼ぶ笛なのだ。
さらに、オペラ「魔笛」の物語は、途中で善人と悪者が逆転する。
悪魔ザラストスにさらわれた娘を取り返して欲しいと王子に頼む女王はじつは娘を利用してザラストスに復讐しようと悪巧みをしており、悪魔と言われたザラストスこそが正義の神官であると判明するのだ。
この「善悪逆転」のテーマが、「葉桜と魔笛」にも秘められていたとしたら?
病魔に侵された可哀そうな妹は、じつは姉より遥かに濃密で充実した生を体験していた、かもしれない。
家族想いの優しい姉は、そんな妹にじつは嫌悪と嫉妬を抱いていた、かもしれない。
そういう目でこの小説を読み返すと、上辺の物語とは正反対の、どろどろしたバックストーリーが浮かび上がって来る。
 
そもそも妹の告白は本当だろうか?
本当に恋に恋した乙女が架空の恋人をでっちあげて、自分にラブレターを書き送っていたのなら、何故、実在の女友達の名でそれを出していたのか?
厳格な父の目に触れるのを恐れての工作なら、わざわざ投函などせずに、無記名の封書を引き出しに隠しておけばいいではないか。
もしかして、彼女が恐れていたのは、父ではなく姉ではないのか?
引き出しの中の手紙の束を勝手に読むような姉なのだから、女友達の名を騙った隠蔽工作も必要になるってもんじゃないか。
ならば、ラブレターは妹のでっち上げではなく、恋人が本当に実在したのではないか?
そして妹は、恋愛の機会もなく悶々としている姉が自分の恋を知ったらどんなに妬み苦しむかと恐れて、秘密にしたのではないか?
この物語が最初から嘘と偽善と秘密にまみれているのなら、他にどんな薄暗い秘密があったのだろうか?
 
さてさて、ここから私は、ものすごく不謹慎な解釈を披露する。
この物語を、恋に恋したまま亡くなった薄幸の妹とそれを見守る家族の美しい話として読んだ方々は、私の解釈にさぞや不快な気持ちを抱かれるだろう。
どうか、深読み女の下品な戯言と聞き流していただきたい。

思うに、これは近親相姦の物語ではないだろうか。
妹が姉から必死に隠していた秘密の恋人は、じつは父親だったのではないか、と、私は邪推する。
こっそり情を交わしながら、姉の前では何食わぬ顔で普通の父娘を演じる日々。
姉がずっと家にいるせいで、普通のカップルのようにイチャついたり愛の言葉を囁くことができない二人は、こっそり文を交わすようになる。
姉に手紙が見つかった場合を考えてMTという架空の男を設定し、消印がないと相手が家の者だとばれるからわざわざ外のポストに投函し、姉の好奇心を引かないよう女友達の名前を使って偽装工作し、それでも万が一手紙を見られた時の言い訳(私の自作自演なの、と)まで用意して。
 
もし近親相姦が行われていたとしたら、病気が判明した時、父娘はさぞかし震撼したことだろう。
きっと神罰が下ったと思ったに違いない。
父親は凄まじい罪悪感から、当然、娘との関係を断ち切る決意をする。
それが、最後の別れの手紙だ。
病気を知った途端に二度と会わないと書いて来て本当にそれっきり手紙が途絶えた事実を、姉は相手の男の不実さと受け取ったが、じつのところそれは「もうこんな関係はやめよう」と断腸の思いで書き綴った真剣な文だったのかもしれないのだ。
恋に憧れた少女の自作自演なら、何故、こんな別れの手紙を自分に書く必要がある?
病気だと知っても甲斐甲斐しく慰めと励ましのラブレターを送り続ける男こそ、乙女の夢見る理想の恋人ではないか。
 
 そして、あの例の口笛……ああ、そうだ、あれは父親が吹いたのだ。
姉が枕元に用意した偽の手紙を、姉よりひと足早く帰宅した父が読んだ。
もしかすると、その手紙を、末娘からの指示だと思ったのかもしれない。
お父さん、MTのふりして口笛を吹いて、と。
そこで彼は、手紙に書いてあるとおりに家の外の葉桜の下で待機した。
一方、目覚めた妹は手紙を読み、姉の帰りを待って、用意していた言い訳を並べる。
あれはすべて自分の自作自演で、MTなど存在しないのだ、と。
すると、何も知らない父親が6時きっかりに口笛を吹く。
二人の姉妹は凍りつく。
姉の方は自分のでっち上げた設定が現実になったことに慄き、妹の方はその口笛を誰が吹いているのかを察して青ざめる。
 
と、このような薄暗い背景があったのだとしたら、その口笛は確かに「魔笛」なのである。
妹を誘惑し穢した悪魔の口笛。
あれを吹いたのは父親だったのでは、と思った姉は正しかった。
だがそれは、彼女が推察したような思いやりの口笛ではなく、忌むべき近親相姦の罪を隠蔽しようと架空の男を演じてみせた父の、それこそ「一世一代の狂言」だったのだ。
オペラ「魔笛」において、王子の吹く魔法の笛は囚われの姫への愛のメッセージだ。
同様に、父親の吹いたあの口笛も、切ない禁断の恋のメッセージだったのかもしれない。
MTという架空の男を演じながらも、彼の口笛には娘を愛おしむ想いと苦い後悔と重い罪悪感がこもっていたに違いない。
妹はきっと、そんな父の真摯な想いを受け取った。
だから3日後に、安らかに旅立つことができたのだ。
 
老婦人の思い出話からそこまで陰惨で罪深い背景を邪推してタイトルに「魔笛」と付けたのなら、太宰はとんでもなく嫌な奴である。
が、同時に、そんな太宰であれば、私も少しは好感が持てる。
その底意地の悪い歪んだ視点こそ、作家・太宰治そのものだからだ。
ちなみに、そんな私がもっとも嫌いな太宰作品は「走れ、メロス」である。
あの作品のどこが名作なのか、私には皆目わからない。
太宰治という作家は、常に「太宰治」を演じる男だった。
「走れ、メロス」だって、その一環なのだろう。
ちっ、芝居がかりやがって。
何が「俺を殴ってくれ」だ。
私がおまえを殴り倒したいわ!

追記
姉が書いた偽の手紙の末尾に記された短歌について、書くのを忘れてました。

待ち待ちて    ことし咲きけり    桃の花    白と聞きつつ    色は紅なり

私はこの歌を、自分の知らぬ間にこっそり性体験を遂げていた妹に対する、姉の痛烈な非難の気持ちと受け取りました。
純潔(白)だと信じていた妹が、じつは成熟した女(紅)になっていた。
幼い頃からあなたの成長をずっと見守って来た私をよくも裏切ってくれたわね💢、と。
姉は、よほど悔しく妬ましかったのでしょう。
MTのふりをして書いている手紙なのに、ついついこのような批判めいた歌を書き加えて怒りを吐露してしまうところが、いかにもこの姉らしいと思いました。
こういう人だから、妹はあの手この手で姉の目を欺き、自分の恋をひた隠しにしなくてはならなかったのです。