※本ブログは猫町倶楽部運営から許可を得て外部公開しております。


■はじめに
今回の課題作品について、タイトルや内容を書いてはいけないとのお達しが下った。
それでブログを書いたりやツイートしたりしてねというのだから、無茶振りじゃないか。
そういうわけで、ブログの題名と内容は別物です。各自忖度してください。いつもギリギリで生きていたいから。

■どちらが好みなの?
クリスマス企画だからなのか、読書会のルールがいつもと違っていた。
毎度おなじみ課題本を各自で読んできてその感想を語り合う方式ではなく、
与えられた二種類の作品を読んできて、どちらの作品が好きなのかその感想を語り合う方式であった。
その意図について、柴田元幸氏によると、なぜその作品が好きなのかを考えると、
その作品の何に自分が一番反応したのかが分かるからだそうだ。

両作品を読み終えても、大杉漣と桜井章一のどちらが好きなのか、即答できずに答えに窮してしまった。
どちらとも嫌いではなく、むしろ好みである。しかしどちらが好きか決断しないといけない。
どちらもクリスマスの日に、主人公が意図せず見知らぬ人に親切にするというプロットは共通している。

そこでふたつの差異について無理矢理考えて、好感度の優劣をつけたところ、
桜井章一のほうが大杉漣よりも好みという決断を下した。

両作品ともにクリスマスが舞台ということを踏まえて、
二作品の間に無理やり二項対立を作った結果、
交換と贈与の関係と、懺悔と喜捨の関係の二つを見出した。

■交換と贈与の関係
大杉漣は、ロバート馬場のために演技をしてあげた。
桜井章一は、他家に役牌を振り込んであげた。
彼らは何か利益を得ようと考えたわけではなく、無私で善行を施した。
サンタクロースのモデルとなった聖ニコラスが、
貧困に喘ぐ人々に人知れずお金を渡した姿と重なって見える。
しかし、桜井章一はただ役牌を振り込んだだけに対して、
大杉漣は撮影用キャメラを盗んでしまった。
窃盗が犯罪だから悪いと言っているのではなく、
演技をする代わりにキャメラをギャラとしてもらってしまったがために、
神聖な贈与が交換に貶められてしまった。
それ以外にも主人公との間にロケ弁代と脚本代の交換が発生しているので、
ギブ&テイクが強調されているように感じた。
この理由により桜井章一にまず一票を投じた。

■懺悔と喜捨の関係
喜捨のほうは上で書いた内容そのままだ。
桜井章一も恵まれた男ではなかったものの、他家の男に施しをした。
キリスト教の愛の実践だ。
大杉漣のほうはロバート馬場宅での行いに罪悪感を持っていたが、
主人公にそれを告解することで罪の意識が消えて許しを得られた。
だが、それだけで終わればよかったのだが、
主人公が「相手にエンターテインメントを提供してあげたじゃないか」と言ってしまった。
ここで自己正当化を持ち出してしまったがために、
せっかくの懺悔を台無しにしてしまった。
これで桜井章一にまた一票加わって、桜井章一に軍配が上がった。

■比較した結果何が見えたのか
読書会のときは皆ここまで踏み込めて話していなかったかな。
就職活動のときに、ここまで真面目に自己分析をした記憶がない。
各判定結果をもとにして考えると、以下の傾向がありそう。

・嫌儲の気質がある
・見返りを求めない行為に憧れる
・謎の精神的潔癖症にかかっている
・他者からの救済を認めない

何が好きで何が嫌いなのかを徹底的に問い詰めることは、
自分自身を見つめる方法として面白いかもしれない。

■テーブルメンバーの投票結果
あまり書きすぎるとボロが出るので、唐突な話題変換。
私のテーブルでは、他の参加者含め以下の投票結果になった。
A. 大杉漣のほうが好き  ・・・ 2人
B. 桜井章一のほうが好き ・・・ 3人
C. どちらも好き     ・・・ 1人
D. どちらも嫌い     ・・・ 0人

桜井章一のほうで、全滅エンドを提唱されている方がいらっしゃって面白かった。
正直、その説は真っ先に頭によぎったけれど、クリスマスだからそれはないだろうと打ち消した。
素直に感極まって絶頂に達したと受け取りました。クリスマスだからいいんだよそれで!
でもスイカに塩をかけると甘さが引き立つ理論にならうと、
クリスマスだからこそ死が際立って美しく見えるのだろうか。