ヨーゼフ・ボイスという芸術家は全然認識していませんでしたが、藝術部の『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』を観ていて実は以前に作品を鑑賞していたことを思い出しました。

映画では最初の方に登場した《苦境》。

3年半前にパリへ個人旅行した時にポンピドゥー・センターで観ていました。


見た目は温かそうなのに生気を吸われる感覚が強烈な空間でした。
海外の美術館では撮影可能なことが多い物の気になった作品しか写しませんが、この作品はすごくインパクトがあって面白いと思ったので写真がありました。

後で調べようと思ったのかキャプションも撮っていました。(もちろん調べていない)「一旦中に入ると、鑑賞者は温かみの感覚とそれに相反する孤独もしくは隔離の感覚、さらに世界からの庇護と排除という両方の感覚を経験する」そうです。



先立って行った豊田市美術館の「ボイス+パレルモ展」でも「二項対立」というキーワードが紹介されていたので、それを事前に知っていたらさらに作品を味わえたのかなとは思います。ただ、そもそも今回の藝術部へ参加していなかったら謎のフェルト部屋という印象だけで終わっていたので、人となりも含めて知ることができて個人的にはすごく良かったです。



でも、この人の作品ははたして美術館で観るべきものなのか?
会の中で、ボイスという作者自身と言葉のリアルタイムでの息遣いと結びついていたからこそ人々を惹きつけた作品であって、本人が死んでいる現在においてガラスケースの中で作品を鑑賞するのは何か違うではないか、という意見が挙がりました。
確かに1人で作品と対峙していても?マークが頭の中を回るばかり。
誰かと一緒に行って対話しながら観る方がまだしも作家の本意に近いのかなとも思いました。
私は先に美術展に行ってしまいましたが、この映画を観た後でボイスの展覧会に行く人がどういう感想を持たれるのか気になるところです。