二村組の読書会に参加させて頂きました。
ご一緒させて頂いた皆様ありがとうございました!

感想の整理でブログを書かせて頂きます。

とっても、面白く読ませて頂きました。

「ありがとう」という言葉を持たないプナンの人達。
性行為と子供が結びついていない部族。
たくましさを得るために年長者の男性に口唇性交をする部族などなど。

自分の常識でははかりしれない文化があることに驚きの連続となる読書体験でした。

そこで本の副題にもある「これからの時代を生き抜くために」。この文化人類学がどのように役立つのかな?という問いに対して書きたいと思います。

考えたのは
「異なる文化とどう折り合いをつけて行くか?」
    「既存の社会制度上の問題や、心の内面が抱える問題の解決の糸口になるのでは?」

例えば、身近な問題だと海外からの移住者や旅行者の、ゴミや騒音の問題。
(そもそも公共や衛生に関する考え方や文化の違いによる軋轢)

直接的に私たちが被害を受けているのではないですが、アフリカの女子割礼やキルギスの誘拐婚など。

私たちに差し迫った問題として目の前にある異文化。遠く離れているかもしれないが、見過ごすことは出来ない異文化。これらに対してどう向き合っていくのか?


日本の制度上の問題としては、夫婦別姓や同性婚など。
これらも、5つもジェンダーが存在するインドネシアでは、同性婚の良い、悪いの議論すらナンセンスなのかもしれない。同じ問題を他の文化では、どの様に考えているか?相対化してみる。

モンゴルのシャーマンにより自閉症が改善して行く話がありましたが。
そもそも自閉症のとらえ方が文化により違うのかもしれない。文化が勝手にその子は、自閉症と決めつけているのかもしれない。

文化人類学の良い点は、すべての常識を相対化して、比べて、分析する手段として有効なのだと感じました。正しい、正しくない。科学的であるか、科学的でないかではなく。
ただ、事象を分析すると共に、「なぜそのような文化が生まれ、なぜそのような文化が必要とされたか?」。理解するとは?善悪ではなく、なぜそのようになったかを考えていくこと。共感や受け入れるかどうかを考えるのはまずその後なのだと思いました。

そして、異文化と折り合いをつけて行く上で、何が重要なのかな?と考えてみました。
「命と尊厳と共生」の概念かなと。

アフリカの女子割礼は、命が脅かされていないか?
キルギスの誘拐婚は、尊厳は保たれているのか?
その文化は、全員に同意形成されているのか。マイノリティーの意見が無視されていないか?

皆違っていい!多様性ある文化を尊重する!文化に口出しするのはいけない!
そもそも異なる文化同士が、合わせる必要があるのか?!という考え方もあるのかもしれませんが、「命と尊厳と共生」を最上位の概念とするなら、異なる文化同士でも、話し合い、介入しあう必要性があるのではと思いました。
逆にいうなら、最上位の概念が脅かされないのなら、尊重するべきではと。

この考えの糸口になるのが、既存の常識を疑う、文化人類学なのではと。

常識に囚われて、問題を自ら作り出しているかもしれない、問題を見誤ってしまているかもしれない現状を変えられるかもしれない。
そんな事を考えさせる本でした。

奥野克己さんや、他の文化人類学関連の本も読みたくなりました。

概念的ですみません。長文、読んで頂き有難うございます!