この漫画を読んでから、私の内に天戸が住み着いて煩い。
ことあるごとに私の思考を茶化してくる。
非常に不愉快なので心の中で今日だけで3回生き埋めにしてやった。磔にもしてみたが、ベラベラ喋りまくるので生き埋めにしてやったのだ。

((『のだ』とかダサ。ウケる。ぎゃはは!))

しかし、天戸はこの通り今もいつの間にか這い出てきて、私の頭の中でくそウザイ事をくそウザイ声で喋りまくっている。あまりにウザいので奴が嫌いな記録というやつの中に閉じ込めてしまおうと思う。

((記録じゃねーの。記憶にしとけよ。記録すんと一段落ついちまうだろ。))

本当に不快。もうこれは感想とかではない。一種の埋葬だ。

((だから、言葉で飾んなって言ってんだろ))

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この物語は語るべきことが無数にある物語だが、

((はい、出た『べき』!断定!うげー!!))

大きなポイントとして『意味に囚われ過ぎない』という事があるのではと思う。
読書会ではこの『意味』を強く否定する天戸に救われたという意見もあったが、

((救われてーの?))

私的には全く逆で救われなかった。
如何せん私は【根拠】という言葉が好きな言葉ランキング上位に入ってくる、天戸に忌み嫌われる側の人間である。だから、裕太君の事が切ない位良く分かった。彼は私に近い存在だと思う。
「ジェームスの様に大きな力を持っている訳でもない」かといって「シャルロットの様に
何も持っていないわけでもない」「寺尾ちゃんの様にわかりやすく大きなコンプレックスを持ってもいない」。それが幸せか否かは分からないが、彼はある意味すべてが中途半端。彼は覚悟もなく【真面目】に【真理】を追究して【正義】を掲げて【救いたい】と願う偶に見かけるタイプの人。そして、真理の追究の為に輪廻学会という新興宗教に自ら入り、社会の敵であると糾弾したジェームスの金によって脱退し救われた人である。

((真面目はよくねーって言ってんじゃん!自己否定からの自己陶酔乙ー!))

ダイナミックに騙る、愚かで傲慢な小者。それが裕太くんで私だと明け透けにネチネチと突き付けられる。

((傲慢は人の最大の罪ですよ!!!ギャハハハ))

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天戸一行の主な活動として他人のスマホを叩き落すということがあるが、裕太くんは例外で天戸とその周囲の人々にスマホのカメラを向け続け記録を残し続ける。
そんな裕太君に天戸は『なんで俺がお前のスマホは叩き落とさないと思う?』と問う。
裕太君は作中で『その問いにも意味はないのでは?』と話したが、私はこれは『行けるところ迄行ってみろよ』という意味なのではないかと思った。

((だから、意味に囚われんなよ!))

天戸は意味や言葉を強く否定するが、その背景には想像を絶する苦悩がある雰囲気だ。意味や言葉を考え抜いて絶望や失望後に再構築されたのが今の彼の可能性がある。
作中に川辺にホームレスとして住む不細工な男女が登場する。彼らは大金を差し出されても『変わりたいけど、変えられるのは困る』と受け取りを断る。
天戸は【変わる】のは大歓迎だが、裕太くんが自分に【よって】変わるんでなく、裕太くんが行くところ迄行った先で自ら【変われる】と信じていた故の行動ではなかったかと思う。

((アハハハ!マジ頭の中メルヘン!))

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結局裕太くんは行くところ迄行ったが、変われたのかは分からない。
変われたとしても、天戸の様にはならなかったと思うし、基本的に意味とか言葉に縛られて相変わらず、真面目っぽく真理とか正義っぽいものを求め続けて救いたいとかほざいていそうな気もする。
人は根本的にはそんなに簡単に変われない。
でも、行くところ迄行った彼は元の彼ではないし、行くところ迄行ったら最後は少し笑え飛ばせる位にはなった…のかな?笑

((結局自分語りかよ!最後までつまんねーな!!アヒャヒャ))