有名劇団の芸術監督・俳優を務めていたフェリックスは、シェイクスピアの「テンペスト」の上演直前、部下らの裏切りによって劇団から追放される。舞台への復帰をあきらめ、刑務所で演劇を指導していたが、自分を追放した連中が大臣として刑務所に視察に来るのを知り、復讐を企てる。視察の場で演じられるのはあの「テンペスト」だった。

シェイクスピアの名作を現代の作家が「語りなおす」シリーズの一作。裏切りによる追放、復讐というストーリーは「テンペスト」と同じで、主な登場人物のキャラクターもほぼ対応する形になっている。さらに復讐はフェリックスと受刑者たちが「テンペスト」を演じる中で実行されるという、複雑な入れ子構造になっている。

「テンペスト」に取り組む受刑者たちはみな個性的で、物語の中でいきいきと躍動し、飽きさせない。戯曲を読み込み、仲間と議論し、登場人物のキャラクターや心情を探っていく。「テンペスト」を読んでいるだけでは気づかなかった読みがあり、正直教えられることはとても多い。

上演後には劇の登場人物の「その後の人生」を語り合う。解説で訳者の鴻巣友季子さんが「受刑者たちの精神的な成長を感じさせ、胸アツになるくだりでもある」と書いているとおり、読みごたえがある。

成長を遂げるのは受刑者だけではない。

フェリックスが追放されたのはその傲慢さゆえでもあった。「型破りの演出も、突拍子もない想像性も、大成功も」自分の才能の産物であり、「こんなこと、俺のほかにやれるやつがいるか?」と胸を張り、「演劇界を揺るがす大立者になろうと熱をあげ」ていたのだ。

しかし獄中劇団では違う。受刑者たちとの話し合いでも「じつに面白い意見だ」と褒める。そして「鋭い指摘だな」と付け足すのを忘れない。

受刑者たちもセリフや演出でアイデアを出す。「テンペスト」は音楽と歌のミュージカルでもあるらしいのだが、受刑者たちはラップを提案する。これがまたいいのだ。フェリックスは「見たことがない」と胸をつまらせ、「わたしの芝居じゃない。わたしたちの芝居だ」と心から思う。

追放後「もう五十だぞ、心機一転で再スタートするには賞味期限切れだよ」と弱音を吐き、「これまでと同等の地位、自分が求める職はないだろう」という自尊心から、新しい人生に踏み出せずにいたフェリックス。

刑務所での職を経て、劇団の芸術監督に復帰することができたのは、「わたしたちの芝居だ」と言えるほど彼自身が成長し、受刑者たちがそれに応えたからだ。

その意味で、この物語のテーマは「人生のやりなおし」なのかもしれない。

罪を犯し償いのために刑務所にいる受刑者たちにとっても、「やりなおし」は切実な問題である。登場人物のその後の人生を語り合う場面で、受刑者の一人の印象的な言葉がある。「『テンペスト』という劇はセカンド・チャンスを擁護するものだ」。セカンド・チャンスーそれは受刑者自身が欲していたものではなかったか。

小説も「テンペスト」も、復讐譚なのに誰も死なず傷つかない。絶望の中の血まみれの報復ではなく、やりなおし=再生のための赦しの物語なのである。