June 1
「柴田元幸さんの翻訳教室」というパワーワードに惹かれて、初回のホストクラブ読書会ついでに初参加して以来の、名古屋オフ読書会に遠征割で参加してきました。
今回は課題本『アントンが飛ばした鳩―ホロコーストをめぐる30の物語』の読了以外に、希望者は柴田さん指定の課題文を事前に翻訳する、という宿題がありました。
JOHN CROWLEY ”SEVENTY-NINE DREAMS”よりOctober 6
Walking through a suburban neighborhood along the backyards. Several swimming pools. Because of climate change the water and the pools had changed to a milky white. In each pool was an alligator. I went to my own backyard, glad I didn't have a pool, but when I reached it I could see that in the yard were several large alligators. Skirted them carefully, feeling that we will all have to be very careful from now on.
締め切り1週間前の週末に届いた課題文は一読してヘンテコリンな話で、タイトルと冒頭の日付をヒントにして、夢日記と判断するところから翻訳作業を始めました。自宅の裏庭にワニがたむろしていた、という話で、読書会当日の翻訳教室の質疑応答でも、いくらアメリカでもあり得ないのでは?という意見もありましたが、課題文受信前夜、自宅の車庫に毒蠍が出現してギャーッとなった挙句、潰してバケツの中の真っ赤な液体を見ている所で目が覚める、という荒唐無稽な夢を見たばかりの私には、そりゃあ庭にワニが出ることもあるよね、とすんなり受け入れられました。初日は明け方まで下訳にいそしみ、その後は毎晩、訳文を声に出して読み返し、日本語としてこなれているか受験生の甥っ子にLINEし(既読スルーされるようになってからはスタバチケットをチラつかせ)、自動翻訳で英語に戻しても内容が変わらないかチェックし、考え過ぎて訳が分からなくなってきたら就寝、というルーティーンで夜々推敲を重ねました。翻訳教室でも、訳文は別日に見直してみると適切な訳語が思い浮かぶもの、と柴田さんがアドバイスされていたので、甥っ子は辟易していましたが、私のやり方は間違っていなかったと意を強くしました。
当初は全体の情景がスムーズに立ち上がって来ず苦労しましたが、課題文を毎日読み込む内に、自分も著者と同じ夢に入り込んで、住宅街の裏庭に挟まれた小道を、プールを盗み見ながらそぞろ歩いているイメージを持てました。わざわざワニをよけて通るのも最初は解せなかったのですが、裏庭から帰ってきたから、自宅に入るにはその必然性があったのだと胸落ちしました。柴田さんの講評にも、「時間・空間の中を人がどう通っているのかをきちんと考えて訳している点が非常にいい。」とあり、訳文から私がVR的にアプローチしたことが感じ取れるんだ!とさすがの洞察力に感服しました。
読書会当日、北陸新幹線延伸の煽りを受け、東京より身近な関西・中京方面への直通列車廃止という憂き目に遭っている福井県民としては、やむなく久しぶりの高速バスで名古屋へ。名神集中工事で1時間近い渋滞に巻き込まれながらも、2度目とあって迷わず会場のJAZZ茶房 靑猫へたどり着きました。今回のドレスコードは「クラシック」ということで、訳者あとがきでも言及されているフランクルの、現代の古典(クラシック)とも謳われる『夜と霧』の旧版を持ち込みましたが、同じように強制収容所を生き延びた著者の体験を連作短篇に仕上げた課題本は、きゅっと切なくなる話もありますが、思わず笑ってしまう話もあり、読後感は全く違うものでした。また昨秋、セルビアのユーゴスラビアで最初のナチスの強制収容所や、最大級の犠牲者を出したアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れたこともあり、戦後アメリカで「どこに住もうと、人は働かなきゃいけません」と言いかけてやめた、という『ついにアメリカへ』の中の一節には、強制収容所の皮肉なスローガン「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」が頭を掠めたのかも、とアウシュビッツ第一強制収容所で見た門のアーチの記憶がパッと蘇りました。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館では、数ヶ月前からメールで連絡を取り唯一の公認日本人ガイドの方に説明していただきましたが、「ひとつの奇跡だけでは到底生き延びられなかった。奇跡がいくつも重なって、やっと生き延びられた。」との言葉が印象的でした。課題本でも、まさにそれを強く感じました。また、コロナ禍がもたらした閉塞感の中でのヘイトスピーチや自粛警察の台頭などを例に挙げられ、訪問前には思いもしなかったことですが、ホロコーストは全く別世界の出来事ではなく、自分もまた当事者になり得るのだと気づき慄然としました。
あまりにも有名な、第二強制収容所ビルケナウの「死の門」と、移送されてきた人々の生死の選別へと続く鉄道引込線。
線路内に散在しているのは、前週アメリカ人グループが持ち込んだ、イスラエルから連れ去られた人質の方々の顔写真。
最も私の心に刺さり、柴田さんも一番好きな話だという『三つの卵』で、著者が強制労働させられていたヴィエリチカ岩塩坑は、最初に登録された12件の世界遺産のひとつとして現在は観光地となっており、私もアウシュビッツ訪問前日、ヘルメットをかぶりツナギを着て修了証も発行される坑夫体験をしたり、クリスタルガラスかと見紛うシャンデリアを含め、祭壇やレリーフなど全て岩塩製の壮麗な礼拝堂に驚嘆したりしていましたが、戦時中ナチスの強制労働が行われていたとは、この本を読むまで知りませんでした。至る所に戦争の影が及んでいることを改めて思い知りました。
ちなみに坑夫体験ツアーガイドの方は、友人に薦められて読んだ村田沙耶香の『コンビニ人間』が面白かったという話をされていて、他の日本人作家について聞かれ、ドイツ語も読めるということだったので多和田葉子を紹介しておきました。『コンビニ人間』も多和田葉子も、課題本にならなければ読んでいなかったので、自分では手に取らない本に出会わせてくれる猫町俱楽部への感謝の念が深まりました。それにしても、日本人作家が海外で人気だという記事は読んだことがありましたが、実際に感想を聞くと本当なんだなと実感しました。ツアーで一緒だったイギリス人女性には、「それは仕様です」が唯一知っている日本語だと言われ、吹き出しそうになりました。私がつい口にしがちな言葉だけに、どういう経緯で知ったのか興味が湧きましたが、残念ながら聞きそびれてしまいました。
閑話休題。
休憩を挟み課題本に関する質疑応答が終わると、いよいよ翻訳教室のはじまり。最前列に陣取って、柴田さんの貴重なお話を傾聴しました。参加者の約半数の18名の方々が翻訳に挑戦されたとのことで、締め切り2分前に提出した私の訳文には案の定18のナンバリング。返却された課題を早速確認すると、甥っ子の指摘を受けて、最終稿で削った文言が2ヶ所も赤ペンで追加されており、ちょっぴり悔しい思いをしました。実況添削では4名の方々の訳文が前方のスクリーンに映し出されました。この中から読者賞を決めるので、ひとつづつ見ていきましょう、という流れの中、一番最後が私の訳文だったので、急にドキドキしてきました。添削中は、自分が翻訳中結構悩んでいた”milky white”を「白濁」と訳されている方がいて、なるほど!と感心したり、分かりやすさを重視して原文にない読点を入れてもよいと学んだり、柴田さんの翻訳時のこだわりどころなどを教えていただけたり、とても有意義な時間でした。私の訳文の添削の際は、話のオチを意識して大袈裟に訳した箇所に対して、ここは判断が難しいところ、というご指摘をいただきましたが、訳文のトーンを尊重していただき、今回はこれでもいいかもと許容していただきました。その後の挙手による読者賞の選出では2位となった上、柴田さんが選ぶ柴田賞の発表で18番の方!と呼んでいただき、試行錯誤した甲斐がありました!読者賞1位の方と私には、柴田さんが翻訳した絵本をサイン入りでプレゼントしていただきました。更に柴田さんによると、どちらかの本は前夜の朗読会に使ったので飛んだ唾がシミになるかもということで、思わぬ稀覯本になりそうです。その後は翻訳に関する質疑応答の時間があり、私も戸惑った、意味が通らない箇所に関する質問には、自分だったら著者に直接確認すると回答され、その手があったか!と心の中で膝を打ちました。ただ、某才能査定ランキング番組の見過ぎかもしれませんが、柴田さんの「お手本」も披露していただけたらな、とつい思ってしまいました。
懇親会では、柴田さんを囲んでお話できる機会を遠征組が優先的にいただき、映画『PERFECT DAYS』で銀幕デビューした際の裏話など、興味深いお話を隣で拝聴することができました。先日偶然観た書評番組で、ポール・オースターが好きだとずっと思っていたけれど、実は柴田先生の訳が好きだっただけかも、という、(私がポテチ&牛乳がドクターストップになって初めて気づいた、本を読むのが好きだとずっと思っていたけれど、実はポテチ&牛乳をお供に本を読むのが好きだっただけかも、的な)話で、鈴木保奈美と九段理江が盛り上がっていましたよと水を向けてみたら、この前この番組のゲストに呼ばれたので、近いうちに放送されるかもという意外な告知があり、一同ビックリしました。
*番組のHPを確認したら6月20日でした。お見逃しなく!
(バックナンバーも視聴できます。ご安心を!)
大盛況のうちに懇親会もお開きになり、心地よい夜風の中、ルフィばりにデニムのハーフパンツという若々しい出で立ちの柴田さんもまじえた最寄駅までの道すがら、この通りの両側は桜並木だと聞き、暗記してしまった課題文が頭をよぎりました。
Walking through a suburban hill along the cherry blossom trees.
来春また桜吹雪の中、この坂道を靑猫に向かって通り抜けたいなと思った帰り道でした。
Looked up at them (the cherry trees) surely, feeling that I will have to be very sure to come back next spring.
*読書会は、恒例の靑猫マスターが選曲した、喋ってるだけなのになぜか音楽になってるセルジュ・ゲンスブールのロック調の曲、課題本の著者の後日談、口笛は苦手と謙遜されつつ柴田さんが弾き語りしたSUKIYAKI、ポール・オースターへの想い、靑猫の上階のパン屋さんのとっても美味しいパン、などなど書ききれないほど盛り沢山な内容で、大変満喫しました。柴田さんはもちろん、サポーターの皆さん、参加者の皆さん、素敵な時間をご一緒できて幸せでした。本当にありがとうございました!