「往復書簡    限界から始まる」の読書会とトークタイムはとても楽しい時間でした。
    元々上野千鶴子さんのファンで、鈴木涼美さんのことも時折WEB媒体の記事などを読んで興味を引かれていたところ、トークタイムがあるとのことで、これは参加せねばと、(旧約聖書の読書会に参加中で青息吐息の中)申し込みをしました。
    読書会中はファシリをさせてもらい、様々な角度からの感想を聞くのが楽しかったですが、これから生きていく上で支えになる本だ、とおっしゃった女性がいらして、そうだよなあ、わかるなあ、と思いました。鈴木さんの言葉は現代女性の思い、上野さんの言葉はもうすでに「巨人の肩」なんだと思います。
    上野さんはいつでも百万手くらい先から言葉を構築されているので、対面で話したり対談の形だったり、あるいは講演会の質疑応答のような場面では、だいたいお相手がその場でやり込められるか信者になってしまうかどちらかだなあと感じていたので、往復書簡という形式は時間をおいて考えて言葉を返せるのがとてもよかったのではないかと思いました。
    この本はいろいろな観点から話したいことがありますが、個人的に一番共感したのは、6章の「能力」のところで鈴木さんが書かれていた、「可愛がられて尊敬される」ためには高い学歴とAV女優の肩書が必要だったという言葉でした。
    四半世紀以上前の進学校時代、周りにそういうメンタリティを持った友達は珍しくなく、お勉強ができる(いわゆるインテリである)ことと性的であることの相克みたいなものを、当時の女子学生は多かれ少なかれ内面に持っていたように思います。東大に入ってキャバ嬢になりたいと言っていた子、実際に東大に入ってSMの女王様をやっていた子を一番に思い出しましたし、私自身がフェミニズム(当時は田嶋陽子さんのご本などを読んでいました)に惹かれつつ、濃厚で過激な性描写が描かれたBL同人誌やBL小説の世界に引き込まれていったこととも緩くつながっているなと感じています。
    インテリであることと性的であることの相克が根深かったり、それがこじれていたりするとどうなるかというと、
    既存の女の幸せというものに疑問を抱きがち
    現実の男性と折り合いをつけづらくなりがち
    男性からそういう可愛げのない女はちょっと、と思われがち
    男性にとって都合よくエロい女なのだろう、と決めつけられて不快な目に遭いがち
などなど、幻滅したりされたり絶望したりされたりをいろいろ経験することになりますが、まあこれは女性ならそもそもありがちなことでもあるかもしれません。
    男性インテリが夜の世界に入り浸っていてもそれほどアイデンティティに悩むことはなく、また誰かに何か突っ込まれることもないと思われるので、そこはちょっと男女差を感じるところです。
    さらに、母親のインテリ度とか父親の影の濃さ薄さなどが、そういう相克に案外深くかかわってくるというのも、とてもうなずける話でした。
    私が若い頃は特に、母親は専業主婦がメイン層でお勤めしてる人も離婚する人も少数派みたいな時代で、高学歴ながら家庭に入ったうちの母親などは、本人が長いこと高学歴であることと家庭の主婦であることとの間で右往左往していた印象ですし、多くの母親はこれからの時代は娘にも高い学歴をつけねばと尻を叩きつつ、年頃になると早く結婚しろとせっついたりしていたので、娘たちはたいへん混乱させられていたわけです。
    叱咤激励の方向がとにかく金を稼げるようになれ、にほぼ一本化されていた息子たちとはそこもちょっと男女で違ったなあと思います。
    母と娘はそれでもまあバチバチやり合って和解したり距離をとったりがありますが、母は息子をいつまでも愛情(という名の執着)でくるみ込んだりするので、こちらのほうが闇が深いというのはそうかもしれないなと。
    ただ私としては、母子がやや緊張感のある関係になっている家庭で、子育てにおける父親の影が薄いことが多いのが気になります。そこはまた別の話かもしれないので、また機会があったら考えてみたいです。
「往復書簡    限界から始まる」についてはもっと話したいことがある気がするのですが、今回はこのあたりで。ご本は折に触れ読み返そうと思っています。