1月15日に開催された『つながりと流れがよくわかる 西洋音楽の歴史』の読書会に参加された皆さま、長時間にわたりお疲れさまでした(追って配布するとお伝えしていた資料は16日の早朝にタツヤさんにお送りしましたので、共有されるのをお待ち下さい!)。

皆さまからのご質問には、なるべく簡明にお答えしようと意識していたのですが(それでも、まどろっこしい説明しか出来ないこともありましたが……苦笑)、記憶を頼りに簡明に答えたあとで「でも、そのように断定して大丈夫だろうか?」と思い至り、資料に当たり直すと、いわゆる「諸説あり」に突き当たることが少なくありません。やはり古い時代であればあるほど、明確な証拠がなく、専門家のあいだでも意見が分かれることが増えてしまいます。

というわけで、このアフタートークのブログでは、お答えした質問のなかで「諸説あり」の案件について、一応補足しておこうと思います。


①発見者は「ピュタゴラス」か「ピュタゴラス派」か?

この件については、意見が分かれること、口頭でも触れたと思います。

レクチャーの中でご紹介した音の周波数を比率でとらえることによって、どこまでを協和音とするのか? この理論を築いたのが、ピュタゴラス(ピタゴラス)であるという伝承が残されています。その伝承では、鍛冶屋が金槌を叩く音に綺麗な響きとそうではない響きがあることに気づいたピュタゴラスは、そこから綺麗に響く比率(金槌の場合は重さ)を探し当てていったというものです。

ピュタゴラスは紀元前6〜5世紀の人物ですが、上記のエピソードが掲載された書物として現存するのは1〜2世紀のニコマコスが書いたものなのです。それで本当にピュタゴラスのエピソードと断言できますか? なのですが、日本音楽学会 元会長で、ルネサンス以前の音楽について日本での権威である金沢正剛先生は2020年に出版した音楽史のなかで、特に注記なく前述のエピソードを「ピュタゴラス」によるものと書いているんですよね……。鍛冶屋のエピソードは挙げていませんが、音楽を数学的に捉える基礎がピュタゴラスにあるという旨を書いている課題本著者の岸本宏子先生も、ほぼ同じような認識だったのだといえるかと思います。

②「ドリア旋法」か「第1旋法」か?

確か、懇親会でしおこさんからのご質問に答えるかたちで、「グレゴリオ聖歌が先にあって、それが分析されて、旋法が出来た」と解説しましたが、これはやや不正確なお答えでした(申し訳ございません)。

前述した金澤先生の著書『ヨーロッパ音楽の歴史』(音楽之友社, 2020)によれば、今日、教会旋法と呼ばれているもののうち「ドリア」「フリギア」「リディア」については、古代ギリシャ(つまり紀元前)の時点で存在していたのだそうです。ただ、ややこしいのがここからで、金澤先生のお言葉を引用すると……

中世以後、キリスト教の礼拝で歌われる聖歌の旋律を理論付けて「教会旋法」を決めた際に、ドリアやフリギアなどの名称を用いたことがあるが、それは全くの誤解によるもので、根拠のないものであった。

え?どういうこと!?って感じですよね。だって、クラシック音楽を学ぶ上で基礎となる楽典(音楽を楽譜に記すための約束・規則を説明する理論)の本を開いてみれば、ほとんどの本で教会旋法といえば「ドリア旋法」「フリギア旋法」「リディア旋法」などの名前で説明されるのが一般的で、金澤先生によれば正しい名前とされる「第1旋法」というような名前は併記されていても、副次的なものだと思われていることが多いんです。

簡単にまとめれば、そもそも間違った名称とはいえ数百年〜千年をかけて一般的になってしまった現在に、「それは誤解だったんですよ!」と言われて訂正されても……。という感じですね(苦笑)。結論としては、古代ギリシャにおける「ドリア」「フリギア」「リディア」と、教会旋法における「ドリア(第1旋法)」「フリギア(第2旋法)」「リディア(第3旋法)」は似てるようで、完全にイコールではない(構成音は同じでも、終止音や支配音という音の役割が違う)。教会旋法は、グレゴリオ聖歌を整備した際に理論化された。……ということになります。いやはや、かえってよく分からなくなりましたよね(苦笑)

③ラテン語は「高低アクセント」か「強弱アクセント」か?

さて、もうひとつだけどうしても触れておかなければならないのが、日本の声明とグレゴリオ聖歌って似てません?という質問に対し、小室は「日本語もラテン語も高低アクセントで、言葉の抑揚からメロディが出来ているからではないでしょうか」と答えたのですが、調べ直してみると、ラテン語のアクセントが「高低アクセント」か「強弱アクセント」のどちらだったのかは、専門家のあいだでも意見が分かれているそうです(どうやら欧米では「強弱アクセント」説が優勢?)。

言語学は私にとって完全に専門外なのですが、「ラテン語 高低アクセント」でググると色んな見解がみられますので、興味深いです。特に面白かったのが、下記のツイート。何者だか分かりませぬが、考察が連ツイになっていて只者ではなさそうです。

結論としては、ラテン語が「高低アクセント」だったかもしれない……から似てるのかも?……とふんわりしたお答えにしておくのが適切そうです。


読書会中とは打って変わって、まどろっこしい答えばかりで恐縮です。もし、他の音楽史の本を読まれて、小室と違うことが書かれていても「嘘を教えられた!」と決めつけず、諸説ある可能性もあることを念頭においていただければ幸いです。もちろん、何かお気づきのことがあれば(他の本では違うことが書かれていたけど……等など)、遠慮なく次回の読書会でぶつけてくださいね!