午前中に行われるマチネ読書会に参加しました。

課題本は、哲学者高橋正一郎さんの著書『理性の限界:不可能性、不確定性、不完全性』。

アロウ、ハイゼンベルク、ゲーデルなどの思考を通じて(このあたりはぜんぜん理解できていません)、合理的選択、科学的認識、論理的思考は絶対的なものではない、そこには限界があるだからからこそ可能性があるといった印象の1冊。

その中で「選択の限界」に関する部分が特に印象的で、選択とは正しいものを選ぶための手段ではなく、(選択した後に)納得できるものを選ぶためのプロセスとして意味があるのではないか?(つまりどれを選択するかはそれほど重要ではないのかも)。

読書会の中でもそういう話になりました。

大学、会社やパートナーなど人生に関わる大きな選択から、今日のランチ、今日着る服など日々の些細な選択に至るまで、最終的にはその選択の結果に自分が納得できるかどうかで、それは正しいかどうかよりも重要なのかもしれません。

私自身は理性で動いているよりかは、よくわからない何かに動かされている、つまりかなりの部分を”自動運転”している、その自分の様子を観察しながら生きている感覚がある。だからなのかこういった理性というものが、自分もしくは周りを納得させるためのツールやフィクションのように思えてしまうことがあります。

とはいえ自分の言動を人に説明する時には、この「理性」というツールや土台が必要になることも事実。理性は、私たちが自己を理解し、他人とコミュニケーションをとる上で大切な役割を果たしているから、とても重要ではある。

理性の限界と可能性を体感できた1冊、読書会でした。
(最後に、サポの皆様、参加者の皆様、楽しい時間をありがとうござました。)