オペラ動画を観て感想を話すオンラインオペラの会、今回はヴェルディ 椿姫。

事前に視聴した動画は、パルマ王立歌劇場 椿姫 ヴェルディ没後百周年記念公演(2001年)。1853年の初演スコアを再現した世界初の復刻上映なのだそう。


ヴィオレッタ:ダリーナ・タコーヴァ
アルフレード:ジュゼッペ・サッバティーニ
ジェルモン:ヴィットーリオ・ヴィテッリ、他
ヴェルディ没後100周年記念管弦楽団&合唱団
指揮:カルロ・リッツィ
収録:2001年、パルマ王立歌劇場
演出:ジュゼッペ・ベルトルッチ


これまでに観たことのある「椿姫」とは演出がずいぶん違っていて、また今回は、先日に駒井組読書会でデュマ「椿姫」が課題本になっており、私の参加したテーブルでも半数の3名が原作を読んでいたため、そちらの話も出たり、リアルで観たオペラの話が出たり、これまでの回のオペラの話が出たり(蝶々夫人とか)、あれこれ話が広がって、すごく楽しい面白い会でした。


一幕の始まりはヴィオレッタの屋敷のパーティ。炎を使った手品をしている人。座り込むヴィオレッタの肩を触る女の子は何の演出だろう?女の子と手品は、この後も繰り返し登場する。感想会でも、この二つの演出は何を表しているのだろう?と疑問が出るも、答えは出なかった。ちょっとそちらに気がとられすぎるので無い方が良かったとの意見すらあり、他のグループではどんな意見が出たのか気になりました。

衣装などの演出は現代とまでは言わないけれど、椿姫でイメージする年代よりは現代より。ヴィオレッタはチューブトップドレスで少しアダルトな感じ。アルフレードは短髪に髭で、落ち着いたガッチリした感じ、ちょっとあまりアルフレードぽくないような。普通にもてるタイプでないか?しかし二人とも声は素晴らしい。


二幕1場は数か月後のパリ郊外で暮らす二人。ここの展開は超早い。先日読書会で読んだデュマ「椿姫」のように、ヴィオレッタがブイブイ言わせる感じだったり、アルフレードが面倒くさかったりするところが、そこがまた面白かったので、オペラの超スピード展開の裏で、デュマの物語を補完したくなる。アルフレードの「僕の燃えたぎる魂の」「知らなかったとはいえ」を歌い上げる声はすごく良いけれど、歌詞は世間知らず感で残念さは変わらずのアルフレード。この場面にも女の子がいて、空想の中のイメージ、メタファなのかと思っていると、登場人物と関わることができる生身感ある場面もあって、やっぱりよくわからない存在。

二幕2場 フローラのサロン。ジプシー(ロマ)の娘や闘牛士の踊りが、「こうもり」の劇中劇、劇中出し物のようで楽しい。

第三幕ヴィオレッタの寝室。前奏曲では、これまでの回想シーンとまた女の子に手品の鳩。感想会で、この動画の演出はカラオケの動画みたいとの感想があって、なるほど!確かに!
真実を息子に話したという父親からの手紙を読みながらも、「私はラ・トラヴィアータ(ヴェルディの原題) 道を踏み外した女」と泣く素晴らしいアリア。そしてまた女の子。アルフレードが戻り、亡くなる前に間に合う。ここは原作、デュマの小説と大きく異なるところ。やっぱりオペラでは、最後を盛り上げるためには、間に合ったうえで、失うドラマ性が必要なのか。
歌は素晴らしいのですが、寝椅子をアルフレードがぶん投げ倒した結果、ヴィオレッタは床に座り椅子にもたれている。寝椅子を起こして寝かせてやれよと思っていたら、立ち上がったヴィオレッタが譜面台の前で立ったまま大往生した!。うーむ、ヴェルディの初演の復刻世界初上演だそうなので、その楽譜に対するレスペクトなんだろうか。立ったまま往生・・・斬新な演出。

音楽と歌は、すっごく良かったし、二人の年齢が高めに思えたことも歌の素晴らしさで気にならなくなった。しかし、女の子の演出は最後まで謎だった。幸せだった本当には居ない、もう一人のヴィオレッタだろうか?両親の愛を求めたヴィオレッタの子ども時代だろうか?
分かる人には、演出だけでなくて、改稿版の椿姫と今回の初演版の違いがわかるのだろうな、そこは私には全然無理だった。


展開、早すぎとは思うけれど、ドラマチックで少なくとも初めてオペラを観るのが椿姫だと眠くなっている余裕がないドラマチックさだと思う。物語の展開がわかりやすくて、字幕を追わなくても舞台を観てられるし、歌がどれもこれも素晴らしくて聴きごたえがある。しかし、誰がどのように演じるのか、その演者の外観にはやはり引きずられてしまう部分がある。以前の回で、「演者の外観は気にならない、私はオペラは歌を聴きにいっているから」という方がみえたけれど、私はなかなか心の眼で観られないことがある。実際、ウェルディの椿姫の初演は、ヴィオレッタが全然病で死ぬようには見えなかったと不評だったらしいし。


これまでに舞台で観た「椿姫」は、トリエステ・ヴェルディ歌劇場

プラハ国立歌劇場

どちらも衣装などの演出はオーソドックスな感じで、ヴィオレッタも、もう少し可愛い感じだった。しかしアルフレードは、男爵から「若造」と言われるのが合わないほど、若く・・・なかったな・・・貫禄ある感じ・・・。


今回、課題動画の他にもう2本、椿姫を観ました。

一つはオペラサポの方に教えていただいて夜中に必死で観たウィーン国立歌劇場の配信。

https://www.wiener-staatsoper.at/die-staatsoper/medien/detail/news/einfuehrung-la-traviata/


ウィーン国立歌劇場(Wiener Staatsoper)
新演出:サイモン・ストーン
ヴィオレッタ:プリティ・イェンデ
アルフレート:ファン・ディエゴ・フローレス
ジェルモン:イゴール・ゴロヴァテンコ
指揮:ジャコモ・サグリパンティ


すごく斬新な演出。舞台が現代で、登場人物は現代の若者で、ネオンのパーティ会場。皆スマホを持っていて、背景画像がSNS!! ヴィオレッタを演じるプリティ・イェンデさんは、ゴールドのドレス。一瞬、違うオペラを観ているのか?URLを間違えた?と思うほど。すごい、てっきりウィーン国立歌劇場では、オーソドックスな演出のオペラばかりやっているものかと思い込んでいました。

「乾杯の歌」はシャンパンタワーだった! 乗り込むのも馬車でなく乗用車だし。舞台上の車、開演前の字幕でスポンサーがレクサスだったから、車はレクサスなんだろうか。演出に驚きはしたけれど、しかし、歌も音楽も素晴らしいし。観ていると椿姫、案外、舞台が現代でもおかしくない、違和感がない。


二幕1場ではアルフレートが一輪手押し車を押して働いている! パルマ王立歌劇場版では、趣味然として絵を描いて遊んでいたのに! お金が無いと言うシーンでも、背景に銀行残高推移が表示され、スマホで確認する。オペラやドラマの世界にスマホが登場すると、すれ違いとか誤解とかドラマが生まれなくなってしまうのではないか?
カジュアルな普段着を来ていると、なおさら二人がキャンパスの大学生くらいにしか見えません。学生っぽいので、その後父親に叱られるのがピッタリ感ある。


最終幕三幕は、自宅ではなく病院っぽいところで点滴中。抜け出してさまようヴィオレッタ。ベッドに横になるそこへアルフレートが、父親が来る。遂に光の中に消えていくヴィオレッタ。ロミオとジュリエットがウェストサイド物語になったように、椿姫も現代の椿姫に変わっていた。しかし、私はドレスとか、宝石とか、お城とか、そういうジャジャーンとしたきらびやかなものも観たいので、全部がこういう現代オペラになってしまうとそれはそれで残念。


もう一つ、手持ちのDVDを再視聴。ヴェネツイア・フェニーチェ歌劇場 (1992)

ヴィオレッタ:エディタ・グルベローヴァ(S)
アルフレード:ニール・シコフ(T)
ジェルモン:ジョルジョ・ザンカナーロ(Bs)
カルロ・リッツイ指揮
ラ・フェニーチェ座管弦楽団
ラ・フェニーチェ座合唱団
バレエ・ソロ: ガブリエル・ブラウン


オープニングのメランコリックな前奏曲では、ヴェネツィアの水路を歌劇場に向かって進んでいく描写が素敵です。実際、当時のフェニーチェ歌劇場の正面玄関は運河に面していて、貴族はゴンドラで歌劇場に乗り付けたらしい。さらに、フェニーチェ歌劇場は何度か火事が起きていて、映像内の古い劇場は、この後1996年に火事で焼失しているのだそう。金色の装飾がされた内装は、とっても優雅で豪華です。その後、2003年に再現して再建されたのだそう。

舞台装置や衣装はオーソドックスでクラシックな、頭の中で想像していた椿姫らしい。ヴィオレッタはイメージよりは少し年齢高め、真っ白なドレスに黒髪。アルフレードは眼鏡で、ちょっと地味な学者先生風というか真面目そうで、ヴィオレッタに会いたい一心で参加しなれないパーティに無理してきましたという感じ。これまで見た中では一番線が細く冴えない。しかし観ているとアルフレード、こうだったかもしれないと思えてくる。ヴィオレッタが去った後に父親になぐさめられるアルフレードの情けなさも、やはり、この配役が一番かも。

三幕では最後は崩れ落ち亡くなるヴィオレッタ、抱き寄せるアルフレード、ラストの演出もオーソドックスで劇場で観たら気持ちよく酔えそう。


同じオペラ、脚本、セリフ、歌であっても、配役や演出でガラリと変わるということを、見比べて実感できたのは非常に面白かったです。