『こころ』を読んで,読書会に出た。


誰にも話せない話

先生は「誰にも話せない話」とともに生きていた。
誰にも話さないくせに,「誰にも話せない話がある」ということをぷんぷん匂わせて生きていた。

数年前,私も「だれにも話せない話」とともに生きていた。「だれにも話せない話」は亡霊のようで,私が誰かといても,勉強していても,ご飯を食べていても,ひとりでいても,いつも私に話しかけてくるのだった。現実世界にもちゃんと対応してるつもりでいたけれど,今考えるとかなり上の空だった。亡霊と一緒に生きている人々はだいたい自分勝手で,周囲からケアを受けているにもかかわらず,基本的に自分と亡霊のことしか考えていない。そのような状態は本人にとっても,周囲にとっても苦しいことだと思う。

一年前,オンラインで哲学対話に出るようになって,私は「だれにも話せない話」について,少しずつ話し始めた。毎回名前を変えて,知らない人と,事実関係は重視せず,私のなかから出て来る,だけど私から切り離した「問い」をひとつずつ取り出して,検討するようになった。哲学対話のシステムを借りて,自分とともにいる亡霊である「だれにも話せない話」に,少しずつ切り込んでいった。

自分のなかから「問い」をひとつ取り出すのは,こんがらがったぎゅうぎゅう詰めのバックパックのなかからひとつ,底のほうにある欲しい道具を取り出すときと似ている。目的のものを手探りでつかみ,突っ込んだ手を抜くとき,団子状態になった思いがけない記憶が,どっと一緒にころがり出て来る。

出て来る記憶は言葉ではなく,イメージと身体感覚がからだじゅうを駆け巡る感じがする。どこで育ってどんな環境でどんな気持ちだったか,どんな出来事がありどんな心持ちだったのか,どんなふうに闘ってどんなふうにいきのびてきたのか,いまどんな眼鏡で世界をみているのか,なにが懐かしくてなにが悔しくて,なにが分からないのか。

そのとき言葉にならなかったことは,よみがえってもやはり言葉にならない。ただ身体で想い出して感じるだけ。けれども,対話が終わったあとで,ぽつぽつと,言葉になりはじめる。

でてきたものを,床に並べる。ようやくかたちになった言葉にこびりついている汗のような血潮のような錆のようなものをタオルでふきとる。点検し,いらないものを捨て,捨てられないものは棚に戻す。


静の気持ちになってみた話

読書会は「中二病」をキーワードに話が盛り上がった。なんだかみんな,かなり正直に話していたように見えた。さまざまな視点から話がきけて面白かった。

話題のひとつに,先生の奥さん(静さん)の立場から考えて「先生」についてどう思うか?という問いかけがあった。

想像してみた。

特に自分が気にかかっていたのは,静さんが「殉死でもしたら可かろう」と冗談めかして言ったときの気持ち。あれはけっこうきつい台詞で,自殺を決めた最後の一撃みたいに描かれている。

静さんの気持ちになって「殉死でもしたら可かろう」とからかった気持ち・・・あれはなんだろう。日頃直接言えないけれど,静さんの心にあった本音は。

「そんなに時勢遅れが嫌なら,そんなに格好よくいるのが大事なら,死ななきゃしょうがなくなるじゃない」「私は,あなたが格好悪くたっていい,格好悪いところがみたい」「理想のことばっかり考えないで,今目の前にいる私と話して」

熱いな,なんだこの静・・・先生のことだいぶ好きだな・・・。

続いて「私」宛ての先生の長い告白の手紙を読んでいる静を想像する。「私」から手紙をひったくって読み(※『こころ』にそんな場面はないです),静,叫ぶ。

「馬鹿!死ぬなんて,馬鹿。言ってよ。話してよ,生きててよ。馬鹿,馬鹿!」

おう・・・。

どうも私が静の気持ちを想像すると,強い先生愛を感じてしまう,ということが分かった。私はこういうボンボン育ちで世界と自分に絶望している匂わせ神経衰弱ダメ状態男が大好きで,甘やかしたい一蓮托生になりたいというような欲望性癖があるのかもしれない。

秘密について

今回の読書会で "秘密" について確認したことは2つ。
①「秘密は亡霊。亡霊といると,目の前の現実に生きられない。上の空になってしまい,目の前の人に失礼だ」
②「秘密は,話さなくても匂ってる」


秘密はどうせ匂ってる。匂ってるんだから話そう。まずは架空の話として,あるいは旅先のタクシードライバー相手に(※ルパ・ラヒリ『病気の通訳』より),あるいは秘密聞き専門家のとこへ月2回くらい予約して通ってもいいじゃないですか,と唐突にお気軽な心理相談利用をお勧めしたくなる。

そして最後に残った問いは
「なぜ,一番大切な人へは,秘密が話せないのか?」ということだ。

おかしくないですか。おかしくないのでしょうか?一番好きな人の前で,男は格好つけるものなんですか?話さないのが愛なのか?秘密を知らせないことは愛か?

「このことをとにかく静には知られたくない」というのは先生の勝手じゃないか?「貴女が連れ添った男は実は"卑怯者"だったと知らせないこと」は,少なくとも先生にとっては,それは愛だったのかもしれない,とも,考えられなくもないけれど・・・

うーん。
もう一度静さんの立場に戻って考えてみる。
私の中の静さんは饒舌である。

「秘密を知らせないことが愛なら,黙って死んでしまうなら,そんな愛なんていらないわ。馬鹿,馬鹿,大馬鹿野郎の立小便野郎!」

と言っている(口が悪い)(立小便は静には見られていないはずだったのに)。

『こころ』には「私」がふるさとから三等列車に飛び乗ったきり,続きが書かれていない。静さんはその後,どんな風に生きたのだろう。嘘でもいいから,落語家さんか誰か,先生が生きて還った話を考えて,話してくれないかなあ。