有名な作品で気にはなってたけど、サブカルやアート系が好きな友人がやたらに評価していて逆に萎えていたことと、そもそもグロやホラーなどショッキングな映像は苦手だということで観ていなかった作品。

表現できる人やアートとかに憧れがあるけど自分が理解できなさそうなものには酸っぱい葡萄理論で腐して近づかないのでずっとスルーしてきてました。

理解したいのにできないって辛いのでね…。

それと映像は記憶に強く残ってしまうので夜電気消して眠れなくなりそうだしと、観たいけど観たくないという状態でしたが、今回シネマテーブルクラシックの課題映画とのことで良い機会なので参加させていただきました。


不謹慎コメディなのかなと思ってずっと見てました。

暴力シーンにそこまで恐怖や痛みを感じないし、あからさまな性的描写にもエロさを感じなかったし、むしろそれらが滑稽に見えました。

暴力やセックスのシーンが多いけど、そのどちらにも深い意味がないというか、それらのシーンを見ても、被害者の悲痛さや加害者の猟奇性などがあまり感じられませんでした。暴力を受けているホームレスは苦しんでいるけど、表面的というか、暴力を受けたら苦しむものと決まっているからの描写であって、そのホームレスの苦痛に対しての掘り下げをあえてしていないのかなと思いました。

集団で女性を襲っているシーンも、カメラが引きということもあるからなのか人形劇を観ているようになんかあっけない感じで進んでいくように見えました。

でも現実はそんなもので当事者でなければあっけなく見えるものなのかもしれないなとも思ったり。映像作品を観ていると、非日常なことがあったらとてもドラマティックになるものだと思ってしまうが、それは感情を刺激するように作られているからであって、実際はあっけないことばかりなのかもしれない。

この作品はあえてそれらをなくしたのかなと思って見ていました。


アレックスも最初は賢い少年なのか、その暴力性には何か本人なりの美学みたいなのがあるのかなと思って見てたけど、仲間の離反をとめられないし、同じやり方で強盗して捕まってしまうところなどでそうでもないなと思いました。

殺人も意図せずしてしまったが、普段暴力を振るっているわりにその加減もわからないところや、殺人罪により刑が重くなったことへの後悔はあるが殺人そのものにはないところ(私にはそう見えた)など、なんだか全体的に浅く感じました。

楽しいと感じることも暴力とセックスで動物的で、あえてそういう人物にしたことで、そういう人間は洗脳されやすいが本質的に反省しないし人間を変えようとすることなど意味のないことだという話なのかなと思いました。



以上が私が観た感想ですが、最初から難解オシャレ映画ではないのかという偏見もあったのでここまでしか読み取れませんでした。観ていたらそうではないとはわかってきたけど深読みしようとしすぎて結局よくわかりませんでした。

しかしシネマテーブルで皆さんのお話を聞き、この映画について深く知ることができました。以下がそのまとめです。いつものことながらざっくりしています。


この映画には「悪」が遍在している。

誰が悪なのか、悪であるとされるものを誰が判断するのか。そしてその基準は?

作品の中の悪といえば、アレックスが1番わかりやすいが、アレックスの仲間やアレックスを政治利用しようとした大臣と作家も悪ではないか。

作家はかつてのアレックスの被害者でもあったが、政治利用しようとした点や復讐として第九を聞かせ窓から飛び降りるように仕向けた点は、悪ではないとは言い切れない。

悪として描かれていなさそうなアレックスの両親も、息子の非行をとめないし、むしろ甘やかしているふうなのは実は悪ではないか。(あと両親については、アレックスは実は養子だったのでは?下宿の男の態度も含めて出所した息子に対する態度としてはあまりにも不自然だという話にもなり面白かったです。)

描写の有無にかかわらず登場人物すべてが大なり小なり善悪両方を持っているはずで人間がそもそもそういう存在であるのに、社会的に悪とみなした者を洗脳して矯正することは悪ではないのか。

また、アレックスの悪とされる欲望は誰にでもあるもので、それを消し去ったことでふぬけになってしまったのは、その状態が生き物として不自然だから。

アレックスを憎めないという意見もあったけど、他が悪を上手く隠している中で、わかりやすい彼は生き物として自然な存在に見えたのもあったなかなとも思ったりしました。

ということを伝えたかった映画なのではないかということに気づきました。
現実でも社会の秩序を保つためにどこかで線引きすることは必要ではあるけど、誰が決めてどこまでするのかという問題は常について回ることではあると思う。
アレックスみたいな人間が多数を占めていると安全に暮らしていくのは難しいので。
だから線引きはあるが、線の向こう側とこちら側には大した違いがないということ、レッテルを貼りつけ無理やりコントロールしようとすることは傲慢であるということは忘れないようにしたい。

人間とはどういうものかというような意味もこめた映画だったのかなと思いました。


あとアレックスはあのあとより大きい悪になるのではという意見もあり、もしそうだとしたら自然に逆らった事するとろくな結果にならないという教訓も込められてたのかなとも思ったり。


いつもながらまとまってない感想ですみません。

シネマテーブルでお話したことによってこの映画を深く考えることができて本当に良かったです。

酸っぱい葡萄をやめることは今後の人生における課題だなと思いました。

なんでもフラットな気持ちで臨むことは本当に大事だなと思いました。

原作もあるとのことで、しかも原作者はこの映画を歓迎していないとのことでそれがとても気になるので次のUGはぜひ参加したいと思います。

ここまで読んでくださった方、同じテーブルだった方、ありがとうございました。