英文学といえば、「真っ先に思い浮かぶのはシェイクスピア」という人も多いのではないでしょうか。
私もその一人なのですが、体系的にシェイクスピアを学んだことがなく、行き当たりばったりで演劇(ライブビューイングも含む)を観たり、邦訳などを読んだりする程度でした。
その意味でも、今回の課題本と読書会は有意義だったと感謝しております。
https://nekomachi-club.com/events/95369a131d70
読書会では、「シェイクスピアの作品は戯曲であり、文字で読むより演劇などを観たほうが理解が深まる」といった意見があり、確かにそのとおりだと感じました。
そこで、この場をお借りして、私の「シェイクスピア遍歴(と言えるほどのものではありませんが)」を、以下の6作をもとに振り返りたいと思います。
◆ロミオとジュリエット
小学生のころ、いわゆるジュニア版(戯曲ではなく小説)で読み、「なんて運が悪いのだろう、気の毒に」と思った記憶があります。
本作が四大悲劇に含まれていない理由について、私は「初期の作品だから」と思っていたのですが、課題本によれば「四大悲劇とは異なり、悲劇を回避できる機会が何度もあったにもかかわらず悲劇に至ったため」とのこと。言われてみれば、そのとおりかもしれません。
社会人になってから、イギリスが大好きな先輩に、映画『恋におちたシェイクスピア』のDVDを熱心に勧められて鑑賞しました。多少の脚色を差し引いても、本作や当時の時代背景を理解するうえでオススメの作品です。
ちなみに、本作はバレエ化もなされています。マシュー・ボーン振付・演出のモダンバレエを観たことがあるのですが、バレエのリテラシーが低い私は、プロコフィエフ作曲の音楽しか記憶に残っていないのが悲しいところです。
◆ヴェニスの商人
高校時代に、通っていた高校の演劇部による上演を観たのですが、日頃の寝不足が祟って、最初と最後以外は眠り込んでしまい、ほとんど記憶に残っていません…。
そのすぐあとに、19世紀ドイツの法学者イェーリングの『権利のための闘争』を読む機会があり、そこで本作が題材(人肉を切り取るといった公序良俗に反する契約は無効である)として取り上げられていたのがきっかけで、岩波文庫で読みました。
本作は「ユダヤ人蔑視」として批判されることがあるほか、経済学者の視点からも「貨幣の時間的価値を認めていない(利息という概念がない)」として取り上げられることがあるようです。
いわゆる「ツッコミどころ満載」の作品かもしれませんが、戯曲や文学作品としての価値はまた別にあるはずなので、何かの機会に改めて観劇できればと思います。
◆夏の夜の夢
オックスフォード大学演劇協会(OUDS)の学生さんたちによる公演を、興味津々で観に行きました。
読書会の参加者が仰っていたように、日本では「部活」のイメージが強い演劇も、海外では大学の専攻科目として存在感があるようですね。
出演者による生き生きとした演技とストーリー展開に、「シェイクスピア作品は、演劇でこそ真価を発揮する」と強く感じました。
上演後に行われたディスカッションで、「シェイクスピア作品の根底には女性蔑視がある」との意見が出たのも印象的でした。
議論についていけなかった私は、「具体的にどこがどんなふうに女性蔑視なの?」としか思えず、今も疑問を抱えたままなのですが、今秋から始まる猫町のシェイクスピア読書会に参加すれば、その答えが得られるでしょうか。
なお、本作はかつて『真夏の夜の夢』と訳されていましたが、近年では『夏の夜の夢』と訳されることが多いようです。これは、原題『A Midsummer Night’s Dream』の “Midsummer” が指すのは「夏至(6月下旬)」であり、「真夏(high summer, mid-July以降)」ではないとの解釈に基づいています。
◆リア王
ブリテンの老王リアを主人公とする四大悲劇の一つで、ナショナル・シアター・ライブ(イギリスの舞台のライブビューイング)で鑑賞しました。主演はイアン・マッケラン。
鑑賞後に光文社古典新訳文庫で邦訳を読み、この演劇が原作に極めて忠実であることに少々驚きました。
◆ハムレット
デンマークの王子を主人公とする四大悲劇の一つで、これもナショナル・シアター・ライブで鑑賞しました。主演はベネディクト・カンバーバッチ。
また、METライブビューイング(メトロポリタン歌劇場のオペラ)でも鑑賞しました。MET初演の《ハムレット》は、日本でも多くの観客を惹きつけたようで、シェイクスピア人気の根強さが伺えます。
なお、本作のナショナル・シアター・ライブは、今月下旬に栃木県と大阪府で再上映が予定されています。詳細は、以下のサイトをご参照ください。
◆マクベス
これも四大悲劇の一つであり、英国ドンマー・ウエアハウスのライブビューイングで鑑賞したほか、英語の小説で読んだことがあります。
「きれいは汚い、汚いはきれい」という冒頭の魔女のセリフは、「オクシモロン(矛盾語法)」の一つであり、シェイクスピアが好んで用いた表現だと、課題本で初めて知りました。
最初は正気だったマクベスが、次第に狂気に陥っていく姿は痛ましく……。自業自得かもしれませんが、それでも人間の本質を言い当てているような気がして、シェイクスピア作品のなかでは、今のところ本作が「マイベスト」です。
それにしても、シェイクスピアの作品がここまで長く上演され、読み継がれている理由は何なのでしょうか。
・時の権力者(エリザベス1世やジェイムズ1世)に気に入られたから
・それは、当時のプロパガンダに反するような内容ではなかったことも一因かもしれない
・シェイクスピアは戯曲だけでなく、ビジネスや世渡りにも長けていたから
・現在では著作権の期限が切れており、活用しやすいから
・人間の本質を言い当てている作品が多いから
・彼の作品は「信じる力」の大切さを訴えているから(課題本より)
専門家によっても意見は分かれるでしょうし、複数の要因があると思われますが、とても興味深い論点です。
また、シェイクスピアの劇が日本の狂言に似ているという課題本の指摘にも納得感がありました。両者が今もなお受け継がれている理由にも、通じるものがあるのかもしれません。
日曜早朝の読書会で、頭がぼーっとしていたり、Wi-Fiの状態がよろしくなかったりとご迷惑をおかけしましたが、とても楽しいひとときでした。
サポーターや参加者の皆さま、ありがとうございました。