ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年を取ってからも、働きましょう。そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう。そしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、涙を流しましたって、つらかったって。すると神様はあたしたちのことを憐れんでくださるわ、そして、ワーニャ伯父さん、伯父さんとあたしは、明るい、すばらしい、夢のような生活を目にするのよ。あたしたちはうれしくなって、うっとりと微笑みを浮かべて、この今の不幸を振り返るの。そうしてようやく、あたしたち、ほっと息がつけるんだわ。伯父さん、あたし信じているの、強く、心の底から信じているの……。
(ワーニャの前に跪いて、彼の両手の上に頭を置く。疲れ切った声で)
そうしたらあたしたち、息がつけるの!

                              チェーホフ『ワーニャ伯父さん』 浦 雅春訳 光文社古典新訳文庫 P127

※以下、映画『ドライブ・マイ・カー』のネタバレを含みます。



まるで好きなバンドのライブ中どんどん気持ちが盛り上がって、いよいよ大好きな曲のイントロが始まったときのよう。
私はこの一節を聞きたくて、目で追いたくて、声に出したくて、これを読み始めたんだろう。

参加のきっかけは『ドライブ・マイ・カー』。作中でこの戯曲が登場する。

ちなみに『ドライブ・マイ・カー』でシネマテーブルに初参加したのは、初心者読書会でなんとなく『風の歌を聴け』を選んだため。村上春樹を初めてちゃんと読んだからには、村上春樹原作の映画と聞いて見逃すわけにはいかなかった。

…という前知識がある中で読み始めた『ワーニャ伯父さん』は、所々で『ドライブ・マイ・カー』の映像がちらついた。

同じテーブルになった皆さんの発言で気づいたことだが、ソーニャについつい肩入れしてしまったのも映画の影響が強い。
まっさらな状態で読んでいたら、ここまで着目しなかったはず。

ワーニャ伯父さんとソーニャは、思いを遂げられない点では同じ側の人間なのだが、人生や日々の生活への希望の持ち方が対比されて描かれているように思えた。

エレーナの空っぽさ、意思のなさ、流されやすさも際立っていたし、同じテーブルの方の「誰もが小さなワーニャ伯父さんやセレブリャコフ達を心の中に持っているのかも」という言葉には納得だった。
懇親会で聞いた、当時のロシアは日本でいうと幕末のような一触即発さがあり、様々な立場の人々がそれぞれ行き場のない焦燥感を抱えていた。それがワーニャ伯父さんの心の闇、閉塞感、人生への後悔につながったという時代背景にも。

結末をつまらない、結局凡庸さを認め自分から日常に帰っていったと感じた方もいると思うが、私はこの結末にこそ美しさ、人間賛歌のようなものを感じてならない。

でも、もう少しの辛抱、ワーニャ伯父さん、もう少しの辛抱よ……あたしたち、息がつけるんだわ……。(ワーニャを抱く)あたしたち、息がつけるようになるわ!

あたしたち、息がつけるようになるんだわ!

                              チェーホフ『ワーニャ伯父さん』 浦 雅春訳 光文社古典新訳文庫 P128


ということで、「同じ本で2回目の読書会に参加申込」デビューをしました!


先週の二村組で読んだ『星の王子さま』が訳によってあまりにも印象が違ったので、今回は光文社古典新訳文庫訳と新潮文庫訳で読み比べてみたり。『ワーニャ伯父さん』それくらい思い入れのある本になりました。

参加が遅れてしまったにも関わらず話が止まらない私を温かく迎えてくださった同じテーブルの皆さま、様々なエピソードを共有してくださった懇親会でご一緒できた皆さま、本当にありがとうございました。

読書会の奥深さ、読書会に続けて参加する楽しさを実感した夜でした。