先日の二村組「結婚の奴」読書会に参加頂きました皆様、改めてありがとうございました。運営サポーターとして今回 司会を務めましたが、一部段取りが悪く大変失礼しました……ほんと見るとやるとでは大違いなんですね!

 読書会当日とその周辺で、「結婚」「恋愛」あるいは「出会い」に関する色々な企画(LNT=猫町ラウンジ内対談会等)があり、そのあたりの話を少し整理して記録したくなったのでこのブログを書いてます。

多くの内容は「結婚の奴」から示唆を受けたもので、多少ネタバレを含みますのでご注意下さい。婚活的な内容がメインになりますが、あくまで「婚活の奴」という表題通りゆるい感じでざっくり話しますが、結局例に漏れず長文です。そちらもご容赦ください。


■能町みね子さんは、どのようにして「家族」と出会ったか?

  読書会内で、この点に関して面白いエピソードを聞くことができました。ある方いわく「男女が刹那的に"出会うだけ"な場、かつての"テレクラ"であっても、ごく稀に継続的な付き合いが生まれていた」というのです。

お金の為にサクラが雇われる事が多い中で、サクラでない女性がテレクラの通話相手として紛れ込む。また多くの男性が性的欲求(?)から電話をかけている中で、たまたま電話が繋がった相手と意気投合し友人・恋人関係を結ぶに至る。テレクラという仕事・サービスそのものに対する評価は別にして、そういう「偶然」が生まれているという事実に、人と人の出会い・つながりに対する摩訶不思議さを感じずにはいられませんでした。

本の中に記されている通り、能町さんも「家族を形成する相手=アキラさん」と出会い、つながりを深めるより前に、沢山の出会いを経てきています。そうして「生活のみを共にする相手を探す」という選択肢を定め、その方向に注力したことで成果を得た。能町さん本人はこの過程をどこかで「プロジェクト」と呼んでいましたが、言いえて妙ですよね。


■どうやって「プロジェクトのパートナー」を見つけるのだろう?

以上を受けて、なんとなく考えた「私にとってのプロジェクト」達成に向けたヒントになりそうなあれこれを考えてみることにします。プロジェクトの目的・ゴールは人によって違うと思うので、参考になりそうな部分だけ参考にして頂ければと思います。




・口や文字で何を言ってもそれが「本当のその人」とは限らず、基本 長い時間を過ごしてみないと分からない(特にピンチの時の反応・人間性など)?
→他者のことをアリ・ナシで分け、かつ「ナシからの敗者復活」が少ない風潮が最近の未婚率上昇に影響してしまっているのでは?

・その人のことを丸ごと受け入れられる相手は「その人に全く期待していない」場合だけかもしれない?
→あるいは、もっとゆるく「一緒にいたくない」にならない相手は受け入れられる、になるかも

・世のメジャーな出会いの方法が「その人に向いた選択肢」であるかは分からない。例えば「結婚相談所」「マッチングアプリ」は自分に向いた選択肢だろうか?
→結婚などは「たくさんの候補の中から中から選ぶ」より、「少数の候補の中から自分で"決心して"選ぶ」と、長続きしているケースが多い?
→「その人に適した、出会うための場」について深く考えてみてもいいかも?


 方針について、各所で上記のような示唆に富んだコメントを貰いました。思索のスタート地点である「人間関係の摩訶不思議さ」を前提にすると、これらの話はより深く染み入ってくる気がします。

話の前提ゆえに恋愛結婚に絞って考えがちですけど、「別の場で名刺交換してから交流しなかった会社が、別分野で自社に必要な技術を持っていた」なんて話はよく聞きますし、「即断即決して関係を切る」事は一般にリスクの高い行為な気がしますね。

場や期間の方針は良し。そうすると、WHOの方針が残ることになります。

■どんな人が「私のプロジェクトのパートナー」に向いている?それを判定するには?

能町さんの場合、相手のTwitterから見えた気の合い度合い(または、「嫌いなものが一致」してる点?)がアキラさん再発見につながりました。ただ、そういう相手が見つけられる人ばかりでも無いと思います……少なくとも私は見つけられませんでした。では、どうするか。




・失敗の積み重ねも受け入れる、筋トレ的な発想をしてみるといいのでは?
→恋愛体験&失敗経験の積み重ねが「自分に向いている相手が経験則で分かる」「自分への好意に気づくセンサーを育てる」みたいなこともあるのかも?

・特定の判定基準に凝り固まらないのも重要?例えば恋愛と結婚を別物として決めつけても良くないし、恋愛対象でない相手と結婚できないというわけでもない。
→能町さんの場合「この人と一緒に暮らしたらラクだろう」基準判定が優位だった

・自分で考えるだけでなく、周りに「向いてる相手」を挙げて貰ってもいいかも?
→付き合いが長い友人のほうが判定が正確で、恋愛結婚であれば異性のほうがより適切な判定ができるかもしれない


……聞かせてもらったコメントを挙げてみましたが、これはけっこう難しそうですね。少なくとも三番目の方策は私のような友達が少ない&異性の友達はもっと少ないタイプにはインタビュー相手の候補自体が絞られる!

そんなわけでこの方策は考慮維持継続しつつ、別視点からも少し考えてみることに。

■「プロジェクトのパートナー候補」が「私」を受け入れる可能性の高い場は?

考えに詰まったときの定番戦略は「逆の視点から考える」こと。パートナーを知るにはまず己を知れ、という流れですね。とはいえ、「自分から見た自分」と「他人から見た自分」はズレがあるのが当然で、他人視点の自分について自身だけで測るのは相当に難しそう。友人にそれを聞く場合でも、うまい訊きかたをしないと真摯な回答が貰えないかもしれません。

そういえば能町さんは「何か所からのサイトで顔なじみになり、そこで知り合った人と実際に出会う」事を繰り返していたそうで、そこでの経験が将来的に色々な面で生きていた気がします。いっぽうで、付き合いの長い友人相手との対話ではモヤモヤする事も多かったらしいです。……そうすると改めて「場」の重要性が浮かび上がってきますね。




・自分と少しズレた属性の人が集まる場へ積極的に出向くことで「自分が劣っている感覚」を緩和させられる、自分を知れる?
→今までの環境で「出会えて」いないという点も含めて、色々な場に足を運んでみると上記の感覚補正も含めて色々面白い効果があるかもしれない。

・従来の日本社会は「会社」という場が個人に与える影響が今よりずっと大きく、会社で過ごす時間が長く、社内結婚を推奨さえされていて結婚に向いた場だった……が、もはやそういう社会環境ではなさそう
→そこまでは至らずとも「濃いコミュニケーション」が成立するような場があれば「出会う」場としてアリかも?

・「愚痴や毒を吐ける場」はどんどん貴重になっている。SNS上でそれをやっても争いの種になるだけで微妙
→愚痴・毒に限らず、感情をしっかり「自分のものとして表現できる場」はコミュニケーション濃度が高くて相互理解・出会いの場たりえるのでは?


サブタイトルの問いに答え切れていないですけど、なんとなくヒントが見えてくる気がします。少しずつ外出を許容されている今のタイミングこそ、チャンスなのかもしれないですね!


……以上がここ十数日間で考えたり聞いたりしたことになります。やっぱり面白い事してる人・してきた人、悩んで考えてあれこれ揺れてきた人の話を聞くのは楽しいし、参考になりますね。

また、今回のブログテーマに近そうな本でも運営サポーターをすることになっているので、そこでも面白いものが見つかるといいなーと思ってます。
→7/3開催読書会、東畑開人『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』
    下記 二村組読書会とあわせてご参加お待ちしています!


ラストに自チームの宣伝を。来月の二村組は映画回です。アマプラで観れる邦画なのでお時間ある方ぜひどうぞー!