二村組読書会参加しました。
今回の課題は映画「ブロークバック・マウンテン」。去年末に公開だった「パワー·オブ·ザドッグ」といい「クライ·マッチョ」といい、何だかカウボーイの世界を題材にした作品を連続で見ています。こうしてみると、どれも「かくあるべし」の世界からの支配と抑圧を飲み込んできた彼らの、描かれなかった苦しみや弱さ、に焦点があたる共通点はあるのかもしれないなあなどと・・・


この映画はいつも大号泣なんですが、本当に読書会参加して良かった。テーブルで話す内に現れる気持ちとか、皆さんの感じ方から、新しく落とし込まれる想いとか、語りの効果がダイレクトに来ました。何かちょっと泣きそうになる時も。


登場人物の中で、感情移入してしまうのは筆頭はイニスでしたね。共感なのか、イニスの周りの人々の様に放っておけない気持ちなのか、曖昧ですが・・・

彼は生い立ちからして、埋めようのない孤独や寂しさを抱いているけれど、そうやって生きてきているから、そんな状態にも自覚はない。生活が成り立つか否か以外のところで、自分が何を求めていて、何が欲しいのかもよく分からない。
終始受け身で、流されやすく、でも妙に意固地なイニス。多分彼は、自ら声を発して、それを情緒的交流の中で受け止めてもらった経験に乏しい。感情の名前も欲求の正体も、全て分化しきらない塊みたいなままでいて、拒絶や断罪、終わりというものへの恐怖心、怯えだけは強い。それが今まで彼を守り生かしてきたものでもあることは皮肉。


そこで、ジャックみたいな人物が、ずばっと揺さぶってくる。性的な欲動を前面に出して来られれば嫌でも反応し、感情の分化が迫られていく。それはずっと欲しかったものかもしれないし、もしかすると、幼い頃に父に植え付けられた、恐怖や破滅に突き進ませるものかもしれない。
イニスにとって、この時生まれた感情の正体は、祝福と同時に呪いのような、ダブルバインド状態だったかもしれないと。


イニスとジャックは、恋人兼親友だった、とテーブルで出ましたが、ある意味ジャックは少し、イニスの親的要素もあったような気がします。(ひな鳥の親)イニスがジャックに対して、お前が引きずり込んだ、もう苦しめないでくれ、でも浮気するななんて訴える様はまさにそんな感じでした。嬉々として、ジャックと山へ出かけていく横顔も。全く子供なんだけど、子供が発してくる全身全霊の欲求、って抗えない魅力があったりしますからね・・・
ジャックはなぜ、イニスなんだろうと考えたとき、そういう事も思いました。


二人の関係と、取り巻く人々にも想いをはせて語り合いながら思ったのは、愛はひとりでに生まれるものではなく、誰かを通して育っていくものなのだなあという事。1対1の関係性だけで完成されるものでもないし、形作られる中で時に、誰かを傷つける可能性もあるけど、転がりながらずっと育ち変化していく。唯一の完成形があるわけでもなく、大小、優先度はいつも相対的で、傷つけた反対側の面で、誰かの愛を育てる事もある。

イニスとジャックだけではなく、イニスとアルマ、ラリーンとジャック、キャシーからイニス、そして、ジャックの両親の愛。
映画の中にそれぞれに存在していた愛の形を考えてしまいます。

ラスト、ジャックの家でイニスのシャツを見つけ、ジャックの両親の眼差しに触れた時、イニスは自分なりに、「自分の中にある愛」を存在として肯定できたような気がしました。
それを肯定し、愛を使っていく強さを得たのかもしれない。
それは今後の彼の人生で、育ち続ける希望を感じるし、ジャックの愛もその土となって、共に育つのかもしれない。


長くなりましたが、一時間半あっという間で、語り合うことの醍醐味を感じた読書会でした。
こうまで味わい深くなる二村組読書会、何だかはまりそうです。

ご一緒させて頂いた皆さま、設営して下さったサポの皆さま、ありがとうございました!
またお話ができますことを楽しみにしております😊