(やっぱ長編語るのに一時間半は短いよね!ということでメモ帳代わりに……。その3)

◯アンナによる養育
・前のブログに書いたとおり、幼少期のワルワーラを世話していたアンナという女性は、未婚の女性を斡旋することで収入を得ていた人物だと思われます。そのアンナがワルワーラを引き取ったことについて、ワルワーラは「いったいどうして私たちを自分の家に招んでくれたのか、私には謎」と書いていますが、アンナがワルワーラを初めから商品として育てるつもりだったことは明らかだと思います。
・最初のうちは親切だったり難癖をつけてきたり態度が二転三転していたのも、ワルワーラに対する支配権を握り、自らに逆らわないようにさせるためだったと思われますし、ワルワーラが逃亡したことでアンナが「大損をした」と言っていることから、ワルワーラの養育は、慈愛の心によるものでなく、単なる先行投資に過ぎなかったと読めます。
・つまり、ワルワーラは、初めからブイコフのような人物に売られるために、育てられた人物だったのです。ワルワーラの手記に綴られている時期は、彼女がそんな女性としての尊厳を踏みにじる地獄にありながらも、それに気付かずに過ごしていられた、最後の幸福な時期だったと言えるでしょう。
・そんなワルワーラも、母という庇護者を失い、現実にブイコフという脅威が迫って初めて、自らの置かれた境遇に気付き、アンナ邸から逃亡することになります。物語が始まるのは、その直後からです。

◯ブイコフとの結婚
・ほんの短い間であり、常に貧困の中にありましたが、マカールと文通を始めた数か月は、アンナ邸という地獄から抜け出して来たワルワーラにとって、ささやかながら平和を享受できる貴重な時期でした。
・そんなワルワーラの元へ、再びブイコフが現れ、ワルワーラはブイコフとの結婚を決意してしまいます。
・ブイコフとの結婚がどのような意味を持つのか、マカールを安心させるため、ワルワーラはその真意を手紙に残すことはしませんでした。しかし、前のブログに書いたように、ブイコフは過去にポクロフスキーの母に子を産ませ、大金とともに貧乏人に押し付けたような人物であり、結婚の目的についても「甥に遺産を継がせないため」とはっきり言っていることから、ある程度は推測ができます。
・ブイコフは、ワルワーラに「女性」としての役割と自らの子を産ませるという役割を期待していますが、それ以上の役割は期待しておらず、ちょっとした結婚資金にすらも不平不満を言っているように、ワルワーラを家族して大切するようなことはしないのではないでしょうか。それどころか、子を産んだワルワーラ(あるいは、ブイコフの人物像を想像し、あえて非人道的な表現をすれば、子を産んで「女性」としての魅力を少なくしたワルワーラ)は用済みとして、屋敷の片隅でまるで召使のように扱われることすら想定されます。病弱なワルワーラが、この環境に耐えられるとは、私には思えません。

◯尊厳の問題と「黄金時代」
・では、なぜ、そのような未来が見えているにもかかわらず、マカールという唯一無二の友人を捨ててまで、ワルワーラはブイコフと結婚する決断をしたのでしょうか。
・それは、この作品の中で繰り返し述べられている、自尊心(言い換えるなら、人間としての尊厳)の問題だと思います。
・全ての原因は貧困です。貧困のために健康を害し、健康を害することで更に貧困は増します。その上、今風に言えば貧困ビジネスを企むアンナの魔の手から逃れるため、同じく貧困にあえぐ最愛の友人に借金を頼み、その友人をすんでのところで破滅させるまでに至ります。
・マカールは、ゴロホヴァヤ通りで貧しき人々にも自尊心があるということに気付きました。それに、ゴルシコフが貧困のために健康を極限まで害しながら、それでも裁判の結果が出るまで生きることを諦めなかったのも、まさに自らの自尊心ゆえでしょう。しかし、自らの女性としての尊厳を守るためには、最愛の友人を破滅させなければならないような状態で、人は自尊心を保つことができるでしょうか。
・ワルワーラは、いわば、自らの人間としての尊厳(自尊心)を取り戻すために、女性としての尊厳を犠牲にすることに決めたのです。ここには、「そうまでしなければ、貧しき人々は自尊心を保つことができないのか」というドストエフスキーの強い訴えが潜んでいるように感じます。ラストでは、マカールの嘆きにスポットライトが当てられていますが、それと同じかそれ以上に、ワルワーラ自身が悲痛な叫びを上げていたのではないかと思います。
・こういったことを踏まえて、改めて、二度に渡って描かれているワルワーラの幼少時代ーー特に、終盤の手紙に登場する秋の田舎の思い出を読み返すと、彼女の「黄金時代」のかけがえなさがより引き立ってくるのではないでしょうか。彼女の境遇の悲痛さと、彼女の「黄金時代」の美しさの落差こそ、この作品の最も感情を揺さぶる仕掛けなのではないかと、私は思っています。