2021年7月7日(火)文学サロン月曜会
課題本:深沢七郎「楢山節考」


日本昔話などで「姥捨て山」の物語を読んでおり、殿様の命令でもどうしても母を山に捨てられなかった優しい息子の話や、隣国の無理難題をお年寄りの知恵で乗り切って、殿様は「老人は役に立たない」という考えを改めた…という教訓などを知っていた。IMG_q92ljm.jpg 271.68 KBその棄老民話を題材にしたという本作も、話の流れとしては同様に「お年寄りを大切にしよう」という結びになると思っていた。
けれど物語は容赦なく、主人公おりんの運命の日へと向かってゆく。

「信州の山々の間」とだけ示されている貧しい小村。村人全員がもれなく顔見知りの村で、聞きなれた子どもの声が「楢山まいり」の歌を紡ぐ。
おりんは今年69歳で、楢山まいりはもう来年だ。有終の美を飾るべく、おりんはその日の準備に邁進していた。
皆へのあいさつに振る舞うお酒や食料をたっぷりと準備して、楢山で自分が座るための「むしろ」はとっくに編んでいて、妻を亡くした息子に後妻も探してやって…。
おりんは岩魚捕りがばつぐんにうまく、干し魚もたくさん作れたし、そのコツをさっそく後妻に教えてやった。
あとはこの、年齢にしては生えそろっている歯をなんとかしなくては。
歯が丈夫というのは、食い意地が張っているようで恥ずかしいことだから。山に行くころにはボロボロの歯でなくてはと、おりんは自分の口を 火 打 石 で ひ ら す ら 叩 く  。

だれもが気づかないふりをしている。
この69歳 めっちゃ元気では?

なんなら一番生産性が高く、働けないとは言えないほどぴんぴんしているのでは。
それでも、村の掟で70歳になったら楢山へ行かなくてはいけない。「もう年寄りだから」「役に立たないから」「口減らしのために」。
読書会ではこの部分を「ブラック企業のよう」と評した声もあった。おかしいと思っていても自分一人ではなにも変えられない。続いてきた規則に従わなくてはいけない。悪事をはたらいた者は皆で粛清する。
閉鎖的なムラ社会の深い深い闇。

結局、おりんの家は孫も嫁を迎え、曾孫まで生まれることになったため、山へ行く日が早まってしまう。
準備万端であることを誇るおりん。複雑な想いだった息子も、覚悟を決めて母を背負い、山を往く。

楢山まいりには「後日回収する」掟はないらしく、山頂に近づくにつれ亡骸や白骨が散乱しているさまが見られるようになる。
まだかろうじて人の形を保っているモノや、カラスがそのはらわたを食い破っているモノなど…地獄絵図だろうなと思わせる山行の描写がすさまじかった。

別れの瞬間は実に感傷的で、おりんは息子の手を固く握り、そしてどんと背中を押す。もう行けもう行け。そして母を忘れろと。
それまでの意思の強さも含めて、おりんにはどこか宗教的な思想を感じて(キャラクターに釈迦とキリストの要素を入れたそうですがそれだけではなく)そのひたむきさは、極楽浄土を目指し信心する教徒のようにも思えた。

息子が山道を下る中、はらはらと山に雪が降り始める。
”雪の中、山道を行くのは運が悪いが、到着してちょうど降るのは運がよい”…作中で語られた話だけれど、それはきっと「すぐ逝けるから」だろうというのが切ない。

でも、これでおりんも歌に歌われるような「運のよい者」になれた。準備をあれだけがんばったおかげだと、降る雪は山の神様からのご褒美にも思えたかもしれない。
禁忌を破って息子が山道を戻り、雪が降った喜びをおりんに伝えたのは、二人だけの秘密。

そうやって息子が戻った村では、変わらない日常が続いていく。腹がずいぶん大きくなった孫嫁が、さっそくおりんの帯をもらっていて、まだ3歳の末孫娘は楢山の歌を無邪気に歌う。
次に行くのは誰だろう。
閉鎖的な村の、純粋で残酷な生と死の循環が、最後はすこし恐ろしく感じられた。

おりんはあまり苦しまずにすんだだろうか。描かれなかったその最期に思いを馳せたい。
山の神様から恵みの雪を受けながら、ほんの少しあったかもしれない さみしさのような気持ちもきっと、融けて消えてゆくんだろう。

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定例会から少し空いてしまいましたが、読後感や読書会での感傷を形にしておきたかったので、遅ればせながらブログを書きました。
運営サポの皆さま、グループ3でご一緒した皆さま、ありがとうございました!