芥川が好きです。初めて猫町の月曜会に参加した時も芥川の短編だったのを思い出し、羅生門すごいポイント(※個人の感想です)を書いてみようという気分になりました。自分の気持ちに素直になるのは大事というわけで。

羅生門の「く~、いいね~。」という個人的しびれるポイントをご紹介。

①出だしがすごい

>ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

「羅生門の夕暮れは~」とか「時は平安、崩れかけた門がたたずむおどろおどろしい夕方」みたいな世界に引き込むぞ!的な仰々しさがないのに、一瞬でこの世界に連れていかれるんですよね。「下人が一人」、ではなくて「一人の下人が」とすることで、個と孤が引き立つかんじ。しかも、雨やみを待つ、というとても日常的なことから始まるのがいいねえ。

②カメラワーク的な状況描写がすごい

引いて全体を移したり、円柱にとまっているキリギリスをクローズアップしたりと、描き方がパパっと変わりながら進んでいくから、私たちもその舞台全体と細部とを見ながら作品世界を楽しめる。色の表現も「朱塗がはげちゃった赤」みたいな絶妙な色を要所に入れつつ、陰鬱な舞台を作り上げているんですねえ。美術担当さん、すごい!的な感じです。


③直喩表現がすごい

>猫のように身をちぢめて
>猿のような老婆
>悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片(きぎれ)のように、勢いよく燃え上り出していたのである。

芥川の文は気取っていて鼻につくとか言われるけど(涙)、こんなふうに素直に読む人の視覚に訴えてくるような表現がいっぱい。だから、読みながら、すごく鮮やかに目の前に世界が広がってくるんですね(と私は思う)。

④さりげない指示詞(こそあど)がすごい

「その髪を」「そのとき」などのソ系列で淡々と状況を説明している中に、下人の感情が切りかわる部分など、要所要所ではコ系で読み手を引き付けている!特にこれ↓

>しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。

「この雨の夜に、この羅生門の上で」でこの瞬間が限定されます。特殊性が伝わります。言葉が寝ないで浮き上がる感じ。
(どうでもいいのですが、この部分については、好きな曲を聴いて、「この部分いいよね、ここのソロ最高!」というような気持ちになります)

⑤描いていない部分を想像させるのがすごい

解雇されたばかりの男がたまたま出くわした老婆から盗みを働くプロセスにすぎないのに、生死とか善悪とか正義とか感傷とか、いろんな要素が組み合わされている。それをいちいち説明していない。下人の感情的な部分への言及もあるけれどしつこくない。だから、いくらでも想像を広げられるし、いかようにも読める。この懐の深さ!

⑥作者が出てくるんだね

出てきたいのね。「作者は今・・・」とかSentimentalismeとか。なんだそれ?ってちょっと煙に巻きたいんだねえ。いいよ、いいよ。「解説しよう!」って出てくるの、好きよ。

⑦令和のコロナ禍の現代人も身につまされるポイントがいっぱい

「人間の行動指針なんて本人が大仰にとらえるほどには、確固たるものじゃないよ。ほらね、あなたもね。偉そうに本開いて俯瞰しているつもりで、登場人物をああだこうだ言っているけど、あなただって同じでしょ?あなたの正義感なんて、自分で思うほど立派じゃないよ。自己弁護や自己満足っしょ。」ってぽんっと突きつけられる感じ。どこまで許される?どこからがダメ?どの罪が重い?何が正当化できる?って考えさせられる。だから、心ある先生のもとなら、国語じゃなくて、道徳とかで使えそう。でも自分が教員だったら、この活動で評価点を入れるのはかんべんしてほしい。


書いてしまうと、あれ、どうってことないな、という内容なのですが、芥川愛が伝わると嬉しいです。愛こそすべて。