星の王子さまを「恋愛小説」として読む読書会企画で、無茶だなあと思いつつ読んだんですが、ほかのアフタートークブログを読んでいて、テーブルによって全然違うことを話している!と衝撃を受けたので、私のいたテーブルで話したことをざっと覚書します。

読書会開始前
はじめての猫町読書会だったのであたふたしながら受付。受付サポのあんじゅんさんがとてもやさしいお姉さんだった。朗読のブレイクアウトルームに移動して、「うわあ!本当に二村さんがいる!そして私の朗読聴いている!朗読するの学生ぶりだ!」と朗読しているうちにブレイクアウトルームが終了する。

読書会開始前の注意事項
これは前もって知っておいた方がいいだろうことをうえむーさんがだいたい質問していて、今回サポじゃないのに裏回しがすごいなと思った。優しい。

読書会開始
同じテーブルにタツヤさんがいて「!!」となった。「恋愛フィルターで読むと王子さまが星々で酔っ払いや王様など変な人に会った話をするくだりが、友達がマッチングアプリ(または結婚相談所)で会った変な人話列伝をするのに重なって見える」と言ったら同意されて驚いた。

キツネと薔薇
このふたつは対照的だよねと言う話をした。キツネは好意をストレートに伝えるし、薔薇はわかりずらい。キツネは素直に別れを惜しみ、薔薇は強がる。対比かもしれない。キツネは王子さまに自分からアプローチしに行っている珍しい存在。ほかはだいたい話しかけられたから答えるポーズ。

てなづける、飼いならす、なつかせるについて
キツネが王子さまに「お願い、僕を君になつかせて!」という場面があった。翻訳によって違いが出ていたらしく、また原著で読んだ方がフランス語の単語の意味を教えてくださり、知識が深まった。人間に対してと動物に対してで意味が違うらしい(だいたい動物だと飼いならす、人間だとなつく、になっていて、後に出た訳の方がマイルド)
飼いならす、だと上下関係を帯びてくるので、恋愛と上下関係について話した。

世話することと世話されること
恋愛ではなく、愛を親切だと解釈する斎藤環さんの話をタツヤさんが話したところから発展。さっきの上下関係の話とも接続する。薔薇を世話することも、世話を受けることも愛なのではという考え。

源氏物語と星の王子さま
源氏物語の読書会に出ている方が、「いろんな星々をめぐっていろんな親愛を抱く星の王子さまと、いろんな女性を渡り歩き、世話をする光源氏に類似性を感じる」と話していた。私はどんなに星を巡っても、自分の星の薔薇のことを思っている王子さまと、どんな女性とあっても母の面影を追い求めている光源氏の類似性を話した。世界最古の長編小説、言ったら恋愛小説とここで接続したので、さっきのフランス語の原義といい、教養レベルがすごいテーブルだ…と感嘆していた。

王子さまの孤独
家族が出てこなくて、個人対個人の話であり、孤独を描いた話では?と出た。
私は児童書でいろんな家庭環境の子どもが読むので、家族は出ない方がいいんじゃないのかなと思った。英雄にならない貴種流離譚なのかもしれないと今ちらっと思った。(それはただのさすらいの話で貴種流離譚じゃないのかもしれない)

最終的に王子さまの魂は星に戻るけれど、その時にはもう薔薇は枯れているし、運命の薔薇だと認識した後もうまくいくかはまた別の話だよね、となった。

たくさんの薔薇
地上で出てきたたくさんの薔薇は、王子さまのところの薔薇がone of themの薔薇じゃないことを気付かせる役目ではないか?

恋愛とは
恋愛として読めない、という人の話をしていた時に、友情と情愛と親愛と何が違うのか。
そもそも恋愛は万人に必要なのかという問いがあった。
私は必要ないと思う。実際アセクシャルやアロマンティックみたいなセクシュアリティもいるし。恋愛は必要な人がすればいいのでは、という意見もあった。

薔薇が本命だとすればキツネは当て馬になるのでは?だとしたらかわいそうでは?という意見もあった。
ただ、それは一夫一妻制のロマンチックな関係でポリアノミーだったり、友情だったら、
親愛にグラデーションがあったり、並列した親愛がある(友情なんかはそう)のはおかしくないのでは?という話をした。

だいたい思い出したことを書き出しました。面白かったです。同じテーブルのみなさま、ありがとうございました。