まず表紙が可愛い💕
ロシアね、うんうん寒いもんね、雪深いイメージに赤いニット帽可愛い💕
左足をひょいっと前に出してる姿がちょっと楽しげ♪

と読みだして、本の虫いいじゃんいいじゃん♪    ん?ソーネチカ可愛くないの?そんな言わんでもよくない兄貴...え?狂気?狂気の様相を帯びる読書ってどんなん…?お、戦争か…疎開ね…とちょっとずつ表紙ほど呑気で楽し気な話ではないのかも…という感じだけど、ずっと心を掴まれたままスイスイと読まされてサラッと終わってしまい、本を閉じて、自分の中で何が起きたのか全く把握も言語化もできてないけどすごいものを読んだ…す、す、好きだ―!!ソーネチカ先輩マジ凄いっす!おれ先輩みたいになりたいっす!理想っす!おれの理想最終形態ドンピシャっす!と語彙力が中2くらいになりました。

内容もさることながら、全編を通して文章の美しさにも酔いしれました。訳者の方の素晴らしさでもあると思いますが、ソーネチカとロベルトの出会い、プロポーズ、新婚の二人が語らう夜の描写、ソーネチカの授乳、幼いロベルトの立ション(!)、アトリエでのヤーシャとロベルト、ヤーシャの白さ、、、ほんと挙げるときりがない。それ自体分かり易く万人が見て美しいシーンではないんだけど、それを心象から丁寧に掬い取り、的確な表現で読者に伝える描写力、文章力がすごい。情景がキラキラと輝きながら音楽も鳴ってるくらいの豊かさで立ち上がり、こちらの胸に響いてくる。立ションをこんな美しく書ける作家は世界広しと言えどもリュドミラ・ウリツカヤくらいではないでしょうか(要らん評価)。どの本にも一か所くらいは美しいシーンてあると思いますが、美しいシーンが次々に奔流のように押し寄せてくるというのはなかなか経験が無かったので、そういう意味でもずっと感情を揺さぶられる素晴らしい本でした。

結局そうなのよ、家族って。(急に誰)家族って、もう家族じゃないですか。それはもう揺るがないし、逃げられないし、コイツ無理だからチェンジで!とか、この境遇無理だから転生で!とかできないわけですよ。受け入れるしかない。そして人って、多分、純粋な受容体としての能力で行ったら、受け入れることって可能だと思うんですよ。でもやはりそこには「他人が見たらどう思うか」「普通はこうあるべきじゃない?」「自分はこうありたい!」みたいのがあり、それらが乗っかった意識域で捉えたらそれはもう断じて受け入れられません!アーもう無理無理お前何を言うてんの何してくれてんの頭おかしいんかアタシは認めませんからねっ!!、みたいな拒絶や懊悩がそこで湧き上がってくる。

もちろん自分はこうありたい!やこうあるべき!は向上心や道徳観念にも繋がるかもなので必要な部分もあると思う。でも他人が見たらおかしいのでは~や正当な理由のない普通はこうでしょ~はハッキリ言って要らないよね。邪念といっても過言ではない。ソーネチカにはこの邪念が無い。目の前に起きたことをそのまま捉えて受け入れ、その中でのベストを自分の頭で考えて行動していく。自分にとって辛いことでも、相手にとっては素晴らしいことなのだ、と切り分けて考えられるクールさ。その上で自分はそれをどう捉えてどうしたいか、しかない。美しい。なんてシンプルで美しく正しい姿なんだ・・・と思うわけです。私はそうなりたい。けどなかなかなれない。つい自分の考えを押し付けて勝手にイライラしたり断罪したりしようとしてしまう。から、そこにソーネチカ大先輩の偉大さを感じました。まあ先ほどの向上心など現状を良い方向に変えて行こうとする考えは、一般的には持った方がいいとは思う。けどソーネチカの時代&境遇では、あまりそこを頑張っても明るい未来はなさそうよね、と言うのもあり、ソーネチカはそこまで考えて選んでいる道ではないと思うけど、それも含めてソーネチカの生き方は大正解だと思いました。

しかしこの生き方は、部分的には習得できるけど、根本的に100%スッとそうなれるかと言ったらなれませんわな(急に誰パート2)人がどう思うか、普通はこうだろ!はもう反射みたいなものだから、その反射が起きた上で私はそれに惑わされずこの道を行くのですグヌヌ…まではいけるかもだけど、ソーネチカはまずその反射すらないから。全くそこを思わない。え?私のしてること何かおかしいですか?どこが?って感じ。班で「ソーネチカには静かな狂気を感じる」という意見がありましたが、それはこういうところかなと思います。崇高な狂気。理解を越えた、人智を超えた感があるから。赤ちゃんの頃から狂気を帯びた読書をしちゃうソーネチカだから、やはり生まれ持った才能というしかない。

ということで(まとまらないので放り投げる時に便利な接続詞)、ソーネチカは全然可哀想ではない、というのが私の結論です。読む前に「可愛らしくてなんか楽しげ♪」と思った表紙絵は、読んだ後に見ても「いろいろあったけどなんだかんだ結局楽しげなソーネチカ♪」って思います。班でこの表紙絵について「ロベルトのアトリエでヤーシャとの関係を察した後の帰り道のソーネチカの心象風景」と言う意見を聞いて、アトリエを出てふと立ち止まり、雪が積もってるのかと思ったけど緑溢れる5月だったっていう描写も大好きだった私は「なるほど!」と感動し、そしてそうであってすら「すっかり空っぽになり、軽くなった」ソーネチカはこの風景の中を帰り、本を読み、幸福に満たされるわけですから、やはり「楽しげ」であるわけなのです♪

1点だけ、ワタクシごとですが、事前に読みながらスマホに音声入力で気になった箇所の感想をじゃんじゃん垂れ流してメモってるのですが、ヤーシャ=業者、ターニャ=糖尿、ソーネチカ=そーね、千夏、で頑なに終始学習してくれないスマホのせいで、あとから整理するときに「は?!?!」ってなり感興が削がれたのは残念でした(特に引っ越しの場面は「引っ越しの時に業者が…」ってハマりすぎててヤーシャだって気づけなかったわ!笑)

素晴らしい本との出会いと、それを心ゆくまで話せた読書会に感謝です💕
ありがとうございました~💕