鈴木涼美さんご本人参加の読書会。『娼婦の本棚』と『ギフテッド』のテーマ本が二冊ありましたが、自分は『娼婦の本棚』の方で参加させていただきました。

『娼婦の本棚』

■ 紹介本リスト
紹介された20冊の本は有名な本が多く、著者や本の名前は知っているというものが多かったのですが、なぜか読んでいない本ばかりでした。例えば、『不思議の国のアリス』や『悲しみよこんにちは』、『モモ』といった本読みの中では多分ほぼ必読本クラスなのになぜか読んでない本が複数取り上げられていました。また、山田詠美さんや金井恵美子さんなは他の著作は手に取ったものの、その後あまり食指が動かず、ここで挙げられた本は読んでませんでした。さらに、ほとんどの著作を読んでいる岸田秀の『性的唯幻論序説』は、内田春菊さんが表紙の装丁を担当された改訂版の方は読んでなかったり。
一方で、本の中や章扉に出てきた、ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』、村上春樹の『1973年のピンボール』、浅田彰『構造と力』、ミシェル・ウエルベックなどは読んでいたりします。

涼美さんは、この本を「アドレッセンスというものの中を突き進んでいく若いオンナノコたちに向けて書いた」と書いています。つまりは、自分のようなオジサンたちに向けては書かれていないのですから、その選書がいくぶんずれていても仕方がないどころかまさに狙い通りなのかもしれません。

偶然と言えばそうなのかもしれないですが、涼美さんがオンナノコに向けて選んだ本が、目には入っているのだけれども手に取っていないというところに、自然と自分が持つ性差のバイアスが影響を与えているのではないかとも感じました。

■ 身体の商品化
本書を通して、女性の身体の商品化というテーマが通底していたのではないかと思っています。読書会でもこのテーマについて多く語られましたが、普段活字を通しては考えることがないテーマでもあり、考えさせるものでした。また、先に挙げた性差のバイアスにも関連してくるもののようにも思うのです。

男性である自分は、少なくともここに書かれているのと同じ意味では自身の身体の商品化について意識することはありませんでした。もちろん、女性の方でもこれまで自身の身体を商品として見ることはなかったという人は多いのかとも思うのです。しかし、実際に金銭と引き換えに売るということを行為を具体的に想定しなかったとしても、商品化の可能性を自覚し、比較の眼差しに暗黙的にでも晒されるということだけでも世界の認知に対する影響は出てくるのだろうなと思ったのです。
『蝶々の纏足』の章で、「自分の容姿の相場を意識するようになる」ことで、嫉妬や軽蔑やある種の卑屈さが生まれてくるというようなことが書かれていました。もちろん男子でも自分の容姿を気にして、さらには劣等感や卑屈さを持ちだす時期というのはあるのですが、自分の身体が金銭に媒介されて商品化されるという想像にはついぞ思い至ることもないのです。

『pink』の章の「お金をもらって誰かと寝てみると分かることがあります」や、 『シズコさん』の章で「性をお金に換えたときに、母に復讐をしたような気持の高揚があった」という言葉は涼美さんが男のことがわからないと感じるのと同じように、男の側からは感じることがおよそできない感覚だし、逆にそれは「わかる」と言ってはいけない感じなのかもしれないと思ったりもしました。

最近は、女性の社会進出や#MeToo運動、同性婚など、両性は完全ではないなりにも平等の方向に社会は向かっているのでしょう。しかし、このどちらの性が上でも下でもないけれども、危うい非対称性について目を逸らしてはいけないのだろうなと思いました。そして、立場によって様々な読み方ができる本で、その人の立場を意識させる本だな、と思いました。

■ 本棚
『娼婦の本棚』というタイトルですが、涼美さんが、他の人の本棚を見るのが好きだと言っていました。自分も好きですが、なかなか他人の本棚を見る機会も、自分の本棚を見せる機会もそう多くはないのは残念なところです。さらに自分は、利便性(小さい文字が読めない!)からkindle本に移行したこともあり、リアルな本棚があまり最近成長しないということもあります。

そういう事情もあり、自分は2007年辺りからブクログという本棚アプリを使っています。もうそれくらい昔になると、この本を読んでこういうことを考えていたんだと、自分のことでもまるで他人が書いた感想を読むようです。涼美さんが昔読んだ本に付箋を付けていて、見返すと改めていいと思うところもあるし、なぜこんなところに付箋を貼っているんだろうと思うことがあるとも書いていました。そういう、そのときの考え方を残す意味でも本棚アプリはお薦めです。



涼美さんのお母さんが自分の部屋に入りきれない本を涼美さんの部屋に置いておいたという逸話は、自分も子供の部屋に置くようにすればよかったなと思いました。いつか、自分の子供たちがブクログの父の本棚を見て、こういう人だったんだと思ってくれればとてもうれしいことです。

『ギフテッド』

■ ギフト
告白すると、火傷の痕が母からの「ギフト」であるということにはほとんど気が付いていませんでした。火傷の痕を隠す入れ墨を与えられることとなったおかげで、主人公は身体を売る商売をすることがなく、エリのように死ぬこともなかったのだと。入れ墨を入れることが逆に風俗から足を洗う意味があるのだと涼美さんが話されるのを聞き、確かにそうなのだなと思うものの、改めてまったく文脈を把握してなかったなあと思いました。そして、涼美さんは、多くの人ももしかしたらこの文脈が伝わっていないかもしれないということを芥川賞選考の評を読んで改めて思ったとも語られていました。こういうことを著者自ら聞くことができるのが、読書会の醍醐味なのかもしれません。

涼美さんは、『娼婦の本棚』の中で、「少なくともオトナと呼べる年齢まで生き延びた」と書いています。同じくらいの年齢の友人をなくしているとも。そして、その後に次のように書いています。

「彼女たちと私を隔てたのは、多くの場合には運でしかなかったと思うけれど、もうひとつだけ私の身を世界に繋ぎ止めてくれたものがあったとしたら、本に挟まれた付箋の横に刻まれた言葉なのだ」


『ギフテッド』の主人公が生き延びたのは、母から受け取った火傷という「ギフト」と運であったかもしれないけれども、同じように涼美さんにとっての「ギフト」は母から受け取った本を読むという習慣だったということなのかなとも思いました。

■ 表紙
とても印象的な表紙ですが、五木田智央という方の絵だということが涼美さんの口から紹介がありました。顔が描かれていない親子の絵で、名前のない母と娘の関係が主題の小説の内容ともフィットしているとのことでした。画集から選んで掲載許諾をもらったのだとのこと。こういう話を聞けたのも改めてよかったなあと、スピッツの「僕の天使マリ」を聴きながら思いました。

『往復書簡』に続きとても楽しめた回でした。サポの皆様もお疲れ様でした。ありがとうございました。