数年前まで毎回出席していた駒井組、久しぶりに出たらやっぱり楽しかったです。
駒井さんの熱い語りも聞きごたえありました。
駒井組にももっと出たいもっと出なきゃもっと出たいもっと出なきゃもっともっともっともっと


私にとって方言とは、喉から手が出るほど欲しいけど決して手に入らないもの、のひとつです。
いくら標準語に優位性があると言ったって、標準語しか話せないのと、標準語も方言も使いこなせているのと、違いますよねえ。
もう、文学作品ひとつとっても、理解の幅、バリエーションが既に違う。
オンライン読書会だからか、普通はそんなものなのか、私のチームでは「生まれは××ですけど育ちは○○で、それから親が△△出身なので」って、方言の複数対応している人までいて、同じ日本で生まれ育ったはずなのに格差あるなーーって感じでした。
私には「おら」がないよ本当の自分を語る深い言語を持ち合わせてない。


柔毛突起、マジ秀逸で分かりやすい表現ていうか奴らは私の中にも絶対いるし!
私の中でいつも正論言っている奴も、いつも悪態ついている奴も、すっごく小さいけど他者から必要とされる役割を欲している奴もいて、せめぎあってがりがりやってる。雨天の日なんていつも隅で小さくなっている奴がむくむく元気になって世間体みたいな普段だったら歯牙にもかけない価値観をちらつかせてきたりする。
桃子さんは家族の世話のようなことに追われていなくて現実的な時間の余裕があるから、柔毛突起が活発に活動しているって言っている方がいて。きゃーきゃーそれだそのとおりだ、リモートワークの引きこもり生活を半年も続けているから私の柔毛突起が走り回るんだそれだそれだと刺さりましたっていうか私の柔毛突起が自分を刺した。


オラダバオメダ、オメダバオラダ、オラダバオメダ、オメダバオラダ、オラダバオメダ、
ラウンジで人気のKindleFire読み上げ機能は忠実に読み上げてくれます、買ったばかりのKindleFireがもう壊れたのかと焦りました。
むかーーし聞いていた音楽CDって壊れるときにこういう壊れ方しましたよね、同じフレーズを何度も繰り返すっていう壊れ方しましたよね。
死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ
死んでしまった死んでしまった死んでしまった
とか。
かえせじゃぁ、もどせじゃぁ
かえせもどせかえせもどせかえせもどせかえせもどせ
とか。
目で読むよりも耳で聞くほうが、ぶっ壊れた臨場感が半端なくてよかったです。
うまく読めない東北弁も読み上げてもらうほうが意味がつかみやすかった。


一に自由、三、四がなくて五に愛だ。
愛があるかどうかはともかく私もそんな風には生きているはずで、東京オリンピックのファンファーレにのっかって故郷を捨てた桃子さんの気持ちはよくわかります、先の読める人生はつまんなかったんだろうな。私の人生のビッグイベント、就職内定を蹴って渡米した時とか、結婚したときとか(ただいま破綻中だけどね)、そういう必死で自由をつかみにいったなんやかんやを思い出しましたよ。
その代償は孤独ですね、ときどき持ち重りがしますね。