2024年9月28日(土)に開催された猫町倶楽部・二村組読書会。
課題本:萩尾望都「イグアナの娘」「半神」の感想を書かせて頂きます。

ネタバレを多く含みますので、読まれる方はご承知置きください。

『イグアナの娘』


「イグアナの娘」は、生まれた自分の娘を、イグアナに見えてしまい愛せない母。
母から愛されず苦しく娘の物語ですが、母と娘の問題を扱った作品の中でもとても好きな作品の一つとなりました。
たった54ページの中に、非常に多くの気づきを得ることが出来る事が出来ました。



母が娘をイグアナだと思ってしまい、愛せない姿。
娘が母からイグアナだとレッテルを張られてしまい自身を愛せない姿。
このふたつの姿は表裏一体なのではないでしょうか。

なぜ、作者の萩尾望都さんは、イグアナを選んだのか?

イグアナは、冷血動物(変温動物・外部の温度に依存しており、自分で体温調整が出来ない動物)
=親の影響無しでは生きられない、影響を受けやすい子供。

姿形は、恐竜の様だが、草食性の温和な動物=親から醜いとレッテルを張られてしまっているが、
実は醜い分けでもなく、そのままで良い存在である子供。

この影響を受けやすい弱さや二面性を重ねているという点で、イグアナを選んだのではないでしょうか?


作中で、イグアナであること隠さないと王子様に愛されない。人間であることはできないという魔法が掛けられます。

イグアナ=子供が本来持っている個性=親が求める理想像に苦しむ子供の姿ではないでしょうか?


イグアナ的な部分=子供が本来持っている個性が、それではダメだというレッテルを張られ、
イグアナの醜い恐竜の部分(恐竜が醜いか?は別で、恐竜は醜いという仮定の基で。)で、自身の個性が愛せない(心の穴が開いた状態)になってしまったのではないでしょうか。


母親から自身にとって良い子になる事(イグアナ=自分の個性を否定し、母の求める良い子像に沿う人間になる事)によって傷つけられた怒りや苦しみが、今度は、自分の娘へと向けられてしまった悲劇なのではないでしょうか?




なぜ、娘のリカちゃんは母から掛けられた魔法=呪いから逃れられたか?

〇自身の個性を受け入れてくれる存在が出来たから。
最初に好きになる羊の男性に対しては、イグアナである自分=母から醜いと思わされている自分の個性が、彼を傷つけてしまうかもしれないという恐れ、愛されないかもしれないという恐れから上手くいかなかったのでは。しかし、自分の個性を気にしない存在。おおらかに包んで愛してくれる存在。大きな牛の彼の存在が、母から醜いと言われてしまった自分の個性を愛せる様になったのではないでしょうか。

〇母自身も母親(祖母)から、自分の個性を、醜いとレッレテルを張られた可哀そうな存在と認識できたから。

母の死に顔がイグアナに見えた事で、自身の個性と母の個性が似ている事に気づく。
祖母から否定された個性を同じように持っている我が娘を、同じ様に否定してしまう母の、弱さ・苦しさに気づけたからなのではないでしょうか。


最終的に、母を完全に許せたかは、分かりません。

萩尾望都さんのの実生活が投影されているとしたら、非常に悲しい話です。

難しい親子関係で、母親が、最期まで、萩尾さんの漫画を否定。父親と母親が、萩尾さんの財産を管理していたと聞き、驚きました。


私は、人の心中には、さまざま多面性を持った人格が存在すると思っております。

人の人格は、ひとつ(individual(分けられない個人)ではなく、dividual(分けられる人格)だと考えています。

幼少期は、母から愛されない人格がすべてであった為に苦しんだ。しかし、成長する段階で、大学の友人と過ごす人格。愛する夫といる人格。子供を育てる人格。母の苦しみを理解することが出来た人格が育ち、母を憎み、自分を愛せなかった人格は、小さな存在へと変わって行ったのではないでしょうか。


この漫画では、母とは死という別れの結末を迎えましたが、理想を言えば、母の呪いから解放された娘のリカちゃんと、呪いが解けた母が新しい親子関係を築く、新しい物語が作る事が出来れば、良かったのですが。

「死が二人を分かつ迄」

現実の世の中の多くの親子関係の呪いで苦しむ親子は、呪いにすら気づかず、憎しみ合いながら、死んでいくのが、多いのかもしれません。

少なくても、リカちゃんだけでも気づいたことは幸運だったのかもしれません。


『半神』


「半神」に関しては、自身の中に、嫌いな自分。許せない自分が存在した場合どう向き合うか?
という事を主題にした作品だと私は思いました。

誰からも好かれる容姿端麗な妹。しかし、物を考えることも出来ない。姉の存在無くして生きる事が出来ない存在。
頭脳明晰だが、妹の為に自信の生命を分け与えたる為に、やせ細ってしまった姉。
その姉と妹が、同じ肉体としてしか存在しえない。



これは、妹が「世の中や親などに好かれる為に存在する社会的な自己」姉が、「社会的な自分を存在させる為に、自分を押し殺して生きている自己」の比喩なのではと思いました。

自分を押し殺して生きれば生きるほど、社会から見た自分は輝きを増す。
しかし、同じ肉体であるがゆえに、どちらが死んでも生きていけない。



この物語では、手術により、肉体を引き離し、妹が死に、姉が生き残る。
しかし、姉は、死んだ妹を自身だと感じる。


二人が共存する物語が有って欲しいなと私は思いました。
どちらの自分も同じ肉体に宿った自分。姉は自分を押し殺すのを抑える。
妹は自身の有り様を変えようとする。
それぞれが、自分をまず認めあう。



「イグアナの娘」「半神」どちらも素敵な作品で、読者の人生経験によっても、いかようにも解釈の余白がある素晴らしい作品だと感じました。萩尾望都さんから送られた作品からを少しでも自分へのプラスのギフトを受け取りたいと思います。また、萩尾望都さんの他の作品にも触れて行きたいです!