デール・カーネギー著の「人を動かす」は、1936年に出版され、世界的ヒットとなった著書である……らしい。
「らしい」と書いたのは、この有名な本のタイトルも著者も、私はまったく知らなかったからだ。
そもそも、この手の自己啓発的ビジネス書に関心がない。
ビジネスなんてやったことないし(OL時代はただの伝票書き)、他人から啓発されるのが大嫌いなのだ。
いや、68年も生きてるのだから書物に啓発されたことはきっと何度もあったと思うんだが、いわゆる「自己啓発」みたいな本に抵抗を感じる。
「おまえに啓発されてたまるかよ!」という謎の負けず嫌い魂が発動して、読む前からファイティングポーズを取ってしまうのである。
ああ、本当に面倒臭い女だな。
 
で、そんな私が何故、「人を動かす」を読もうと思ったのか。
それは、この本がチャールズ・マンソンに大きな影響を与えたと知ったからである。
1957年、自動車泥棒で刑務所に入れられたマンソンは、このカーネギーの著書「人を動かす」に基づいたプログラムを刑務所で受講し、えらく感銘を受けたらしい。
おそらく「今のままの俺じゃいかん!」と思ったのだろう。
まぁ、「今のままの俺じゃいかん!」のは確かだし(なにしろ当時の彼は暴力と窃盗を繰り返すだけのチンピラだったから)、その志は間違ってないんだが、彼の場合はカーネギーの教えをあらぬ方向に生かす決意をしてしまった。
1967年に出所すると、彼は小銭とギターだけ持ってカリフォルニア行きのバスに飛び乗り、翌年にはあの悪名高いマンソン・ファミリーを結成したのだ。
 
私は長い間、ずっと疑問に思っていた。
マンソンは必ずしも容姿に優れていたわけでもないし、賢かったわけでもカリスマ性が高かったわけでもない。
なのに何故、マンソン・ファミリーのメンバーたちはあんなにも彼に心酔し、彼のためなら殺人をも厭わないほどの忠誠心を抱くに至ったのだろうか?
まぁ確かに、メンバーのほとんどは、まだ10代の家出少女たちだった。
そもそも家庭に問題を抱えた子供たちだったし、世間知らずもいいとこだったろうから、マンソンの甘言にころりと参ってしまったのかもしれない。
とはいえ、60年代のカリフォルニアにはマンソンみたいなヒッピーがゴロゴロいたし、ヒッピーたちのコミュニティも多数存在していた。
中には、マンソンなんかよりずっとかっこよくてカリスマ性のある男もいただろうに、なんでわざわざマンソンなの?
少女たちはマンソンを「キリストの再来」と崇めていたようだけど、当時のヒッピーたちはみんな長髪で髭生やしてて、そこいらじゅうにキリストがウヨウヨいたよ。
 
だが、このデール・カーネギーの著書を読んで、私の積年の疑問が見事に氷解したのである。
カーネギーは人心掌握のコツとして「人の話の上手な聴き手になれ」「相手を褒めて自己肯定感を高めてやれ」「命令するな。本人が自分で思いついたかのように誘導しろ」などと説いているが、マンソンはまさにそのとおりのことを実践したのだ。
元信者だった女性たちのインタビューを見ると、口々にこう証言している。
 
「チャーリーは私の話を真剣に聞いてくれた」
「私の話に熱心に頷き、君は間違ってないと言ってくれた」
「君の中にはすごい才能と可能性があると褒めてくれた」
「あんなふうに話を聞いてもらったのは初めてだったし、褒めてもらえたのがすごく嬉しかった」
 
そう、彼女たちはみんな、家族に失望して家出してきたティーンエイジャーたちだ。
おそらく、ろくに話を聞いてくれない無関心な父親や、一方的に叱ったり命令したりする母親に、怒りと不満と反抗心を溜め込んでいたのだろう。
そこに、話を真剣に聞いてくれて、自分を認めて褒めてくれて、自己肯定感を高めてくれるマンソンが現れた。
まさにカーネギー・メソッドそのものなのだが、少女たちはそんなこと知らない。
やっと話のわかる大人に巡り会えたと喜び、たぶん理想の父親像なんかもマンソンに投影して、「この人に一生ついていこう」という気持ちになったのだ。
 
ファミリーの中の数少ない男性メンバーだったテックス・ワトソンも、マンソンに父親像を投影していたと思われる。
彼は裕福な家の出身だったが、大学で麻薬を覚えてからは急速にドロップアウト人生に突入し、家を出て親とも疎遠になった。
父親を失望させたのは明らかであり、そのことが彼の心に罪悪感や自己嫌悪の感情を根付かせたのかもしれない。
彼は、ただただマンソンに認めて欲しい・褒めて欲しいという一心から、後の「シャロン・テート邸五人殺害事件」や「ラビアンカ夫妻殺害事件」では率先して殺人を主導した。
まるで、マンソンの自慢の息子にでもなりたかったかのように。
 
ちなみに、この時、マンソンは「殺せ」とは命令してない。
ただ、彼に「自分のやるべきことはわかってるよな」と言っただけだ。
テックスはそう言われて「やるべきこと(すなわちマンソンを喜ばせること)とは何か」を考え、自らの意志で「殺そう」と決意したという。
つまり、カーネギーの「命令するな。本人が自分で思いついたかのように誘導しろ」という教えを、マンソンはここでも忠実に再現してみせたのだ。
これを盾に、後にマンソンは「俺は殺せなんて命令してない。あいつらが勝手にやったんだ」などと主張したが、もちろん彼がやらせたことは明白だったため、文句なしに有罪となった。
カーネギーは別に「責任逃れをしろ」という意味で「命令するな。誘導しろ」と言ったわけではないのだが、ここでカーネギー・メソッドを言い逃れに使うところが、いかにもマンソンらしい姑息さだ。
カーネギーも草葉の陰で、怒りに身を震わせてるんじゃないかな。
まぁ、それを言ったら、ジョン・レノンを殺したチャップマンはサリンジャーの熱烈なファンで「ライ麦畑でつかまえて」を常に所持し、逮捕された時にも同書を読み耽っていたというから、当時まだ生きていたサリンジャーはさぞかし嫌な気分だったろう。
 
名作と呼ばれる本には、確かに「人を動かす」力がある。
ただ、彼らの言葉が人の心にどのような種を撒くかは、誰にも予想できないのだ。
同じ種から学びを得て人生が好転する人もいれば、マンソンやチャップマンのように闇堕ちしてしまう者もいる。
一冊の本が良き種にも悪しき種にもなるのだとしたら、それは受け手(読者)の魂の土壌次第ということになる。
では、その「魂の土壌」は、どうやって作られるのか?
生育環境か、遺伝子か、あるいは単なる偶然か。
 
世の中には「子供の教育に悪い」という理由で特定の本を「悪書」と見做し排斥しようとする人々がいるけど、「悪書/良書」なんて、そんなに単純に決められるものじゃないよね。
人は、思いも寄らぬ植物を心に育てる、摩訶不思議な生き物なのだ。
私が犯罪者に異様な関心を寄せるのは、その「魂の土壌」をもっと知りたいからなのだと思う。
だって彼らは、私自身の暗い鏡像なのかもしれないのだから。
私もまた、闇の土壌を、心の奥深くに隠しているのかもしれないのだからね。