本日の読書会「村田沙耶香3連発/第2回 信仰」に参加予定だったのに、直前で体調を崩し、2時間くらいウンウン唸って寝込んでしまった。
おかげで参加できず、非常に残念だ。
悔しいので、ここに私の感想文を発表したいと思います。
村田沙耶香の短編「信仰」を読んだ時、一番最初にこう思った。
「ああ、このヒロインの人、あの子に似てる」
「あの子」とは、童話「裸の王様」で「王様は裸だ!」と告発する、あの身も蓋もない少年だ。
あのね、少年。
王様が裸なのは、みんな、わかってたんだよ。
ただ、目に見えないものを見えるふりするゲームに興じてただけだ。
何故なら、それが楽しいからざます。
現実なんて無味乾燥で退屈で厄介なだけの代物だから、せめて綺麗な幻を信じたふりをしましょうよ。
そうじゃないと、人間はあっという間に絶望しちゃうんだよ。
なのに君はそんな人間の哀しいゲームが理解できなくて、みんなが王様に騙されてるのかと勘違いした挙句、この愚民どもに真実を知らしめようと、「王様は裸だ!」などと叫んで得意顔だ。
自分だけ賢いと思ってるんだね?
でも、バカなのは、君です。
もちろん、幻想を本気で信じてる人たちはいます。
神とか霊とか前世とかを信じる宗教系・スピリチュアル系の人たちは少なからず存在するし、ベンツやシャネルといったブランド物を本気でありがたがってる人たちもいる。
あるいは「愛」という幻想を、「自己実現」なんてまやかしを、心の支えに生きてる人もね。
それらはすべて幻想ですよ。
愛は地球を救わないし、実現すべき自己なんてどこにあるんだ。
みんなみんな、裸の王様の身体を包む幻の服。
だけどね、その幻の服が剥ぎ取られると、みんな凍え死んでしまうのよ。
「マッチ売りの少女」という物語がある。
「裸の王様」と同じアンデルセンの作品ね。
貧しくて飢えてて凍え死にそうな少女が、手持ちのマッチを擦り続ける話よ。
マッチを擦るたびに、その炎の中に、美しい幻が浮かび上がる。
暖かい部屋、美味しそうな食べ物、夢のように美しいクリスマスツリー、優しかったお祖母ちゃんの笑顔。
マッチの火が消えると、素敵な幻はあっという間に消えてしまい、少女は再び凍える現実に引き戻される。
それがつらくて、少女はなけなしのマッチを擦り続けるの。
マッチがなくなるまで、何度も何度もね。
そして、最後のマッチが燃え尽きた時、少女は凍える現実の中で死んでしまう。
この少女は愚かだったかしら?
マッチが見せる夢なんか求めずに、ただ現実を受け入れて死んでしまえばよかったの?
私はそうは思わない。
どのみち死んでしまうのなら、せめてマッチがなくなるまで擦り続け、幸福な夢を見ていた方が幸せじゃない?
少年よ、それでも君は彼女の手からマッチを奪い取り、「おまえが見てるのは幻だ!」と叫ぶつもりなのか?
だとしたら、君はなんて残酷で傲慢なんだろう。
我々はみんな、裸の王様だ。
現実が肌にヒリヒリと痛すぎるから、幻の服を身に纏って、なんとか日々をしのいでる。
この小説の斉川は、その幻を全員が信じれば、それは幻ではなくなると考えた。
みんながそれで幸せになれるならいいじゃない、みんなで信じれば幻の服だって本物の服になるでしょう、と。
はたして本当にそうなのか?
少女がマッチを擦り続ければ、暖かいストーブや美味しいご馳走が本物になって、少女は凍え死ななくて済むのか?
もちろん「否」である。
斉川は間違っている。
いくらマッチを擦り続けても、我々は現実から逃れられない。
どんなに「愛」だの「自己実現」だのを信じても、それが幻想である限り、永遠に手に入らずに手持ちのマッチを消耗するだけなのだ。
一方、「王様は裸だ!」と叫び続けたヒロインは、現実が必ずしも人を救わないことに失望し、「騙される才能があれば自分も幸せになれるのではないか」と考える。
だが、それもまた途方もない勘違いである。
騙されている人々が幸せなんじゃない。
騙されることを楽しめる人が幸せなんだ。
王様は、自分の服が幻であることに気づいてなかったと思うか?
いくら詐欺師の仕立屋に言いくるめられたって、現に裸だから寒いに決まってるし、皮膚を擦る布の触感もない。
この服に現実の手触りがないことを、誰よりも彼自身が感じ取っていたんじゃないか?
自分が本当は裸だって、王様は知ってたかもしれないんだよ。
でも彼は、あえて、その姿で街を練り歩いた。
何故か?
それこそが、王様のメッセージだったからだ。
どんな煌びやかな服を着たって、それがしょせん記号でしかないことを知っていて、だからわざと裸で歩いた。
見ろよ、俺は裸だぜ。
滑稽か?
そうだろうな。
だけど、おまえらだって同じだろ?
もはや俺たちは、幻想にすら救われない。
でも現実は、もっと俺たちを救ってくれない。
ならば、諸君、この幻想ごっこを楽しむより他に、俺たちに道はないじゃないか。
さぁ、民よ、祝祭だ。
幻を楽しめ、酔って騒げ、うたかたの人生を味わい尽くせ。
天が動いていても、地が動いていても、俺たちには関係ない。
どっちが正しいかなんて、どうでもいいんだ。
正しくなんか生きなくていい。
どうせ正しさは、俺たちを救わないんだから。
何を着たって、俺たちは裸だ。
ならば、おのおの、好きなものを着るがいい。
シャネルでもユニクロでも、楽しんで着たやつの勝ちなんだよ。
夢に酔え、恋に狂え。
この世に確かな物なんて何ひとつない。
何も俺たちを救ってくれないのなら、自分で自分を救うんだ。
束の間の悦びに身を任せてな。
たとえ束の間だって、その悦びは、君の生に眩しい光芒を与えてくれるんだから。
そう、あの娘のマッチの炎のように。
これが、裸の王様のメッセージだったのだ。
王様はね、自ら裸で練り歩くことで、人はみな裸なんだと教えたんだよ。
そして、幻の衣を翻し、人生の楽しみ方を示した。
そんなふうに考えれば、「王様は裸だ!」と告発した少年が、どんなに浅知恵だったかわかるだろう。
小説の最後で、斉川に率いられた信者たちは、寄ってたかって石毛をボコボコにする。
石毛は、幻の服で王様を騙して大金を稼ごうとした詐欺師の仕立屋だ。
卑劣な詐欺師がボコられるのは、ちょっと勧善懲悪テイストでいい気味なはずなんだが、このシーンはとても気持ち悪い。
彼女たちにとって、石毛は「排除すべき現実」の象徴なのだ。
彼女たちはこれからも、自分たちの幻想を邪魔するやつをボコり続け、徹底的に排除するのだろう。
そこではヒロインの「十万円返せ!」という現実的な言葉も、本来の意味を失って何かの呪文のようなものにされてしまう。
そんな集団に、斉川の目指す幸福があるとは思えない。
結局、ヒロインの正しさが人を救わなかったように、斉川の信念も救済には程遠いのだ。
王様の服を「まやかしだ!」と叫ぶのも、王様の服を本気で信じて現実にしようとする試みも、世界を幸福で満たせない。
だって、幸福という概念そのものが幻想なんだもの。
人は誰もみな満ち足りなくて、ひとりひとりが少しずつ孤独で、少しずつ不幸せなんだ。
ああ、もちろん、幸福な「瞬間」というのは存在する。
大好きな人に抱きしめられた時の、あの恍惚感。
欲しいものがようやく手に入った時の、あの絶頂感。
だが、その幸福は長くは続かない。
あのマッチ売りの少女が見た幻のように、パッと眩しい光で心を満たし、一瞬で消え去るんだ。
だからこそ、人はその幸福感に飢えるんだよ。
「どこかに永遠に私を満たしてくれる『幸福』があるに違いない」という信仰こそが、我々をもっとも不幸にしているのである。


2026/06/29 23:12
未参加残念ブログ 村田沙耶香 『信仰』



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