II. 語らないからこそ深まる、崩れゆく絆への切なさ


前回は、蝶衣と小楼それぞれの「役に呑まれる生き方」について出た話を書きました。今回はそこに菊仙を加えた3人の関係の話です。感想会の中でも、いちばん熱の入っていた時間だったかもしれません。


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蝶衣は語らない人。
さっき同じルームだった方と話していて面白かったのが、蝶衣はあまり自分のことを話さない。唯一饒舌になるのが、演劇論を語る時。演劇・芸術の話はたくさんするけど、3人の人間関係についてはあまり話さないよね。自刃の場面に到達した時に気づいたんですけど、蝶衣は小楼に比べてセリフが少ないんじゃないかなと思って。でも話す時のレスリー・チャンの表情がすごく好きです。あの人、素敵だなと思いました、あの場面。レスリーは香港の方なので北京語があまり得意ではなかったみたいで、撮影のときは結構苦労されたそうです。だからこそ、北京語で少し恥ずかしそうに、はにかんで喋っているような感じがすごく素敵だなと思いました。

蝶衣に対する小楼の気持ちについては、どちらとも取れるような曖昧な作り方をしているな、という話をしました。掴ませない、パターンに落とし込ませない。


菊仙という人の芯の強さと、それでも折れた瞬間。
菊仙の役割、コン・リーさん演じた彼女の役割は実はすごく大きくて、彼女がいたから3人でうまく成り立っていた、という面もあったはずですね。最後、糾弾(吊るし上げ)の場面で、ずっと寄り添っていたはずの小楼に裏切られたときの菊仙の表情。あそこで何かがプツッと切れてしまって、そのまま自殺に至ったんじゃないかと思います。

菊仙という人も結構歯ごたえのある人で、遊郭を出るときに自分で身請け金を払っているのはすごいなと思ったんです。全財産で。本来なら誰かが払うものなのに、あの人は自分でいつでも出られる状態にしていたというか。すごく筋の通った人だったのに、最後に自殺してしまうのがなぜなのかなと思っていたんですよ。あんなに強い人がなぜ、と。でも、これはたぶん、菊仙は男というものをよく知っていて、男に裏切られることも全部知っていたはずなんだと思うんですよ。最後、文化大革命で裏切られたのは、男に裏切られたというより、家族(小楼)に裏切られたことの方がきつかったんじゃないかな。「男は信じられない」と思っていたからこそ、逆に「じゃあ小楼には賭けてみよう」と思って会いに行ったら、ああいうふうに言われてしまった、ということなのかなと思いました。

小楼にとって、蝶衣と菊仙は絶対に手放しちゃいけなかったんでしょうけど、時代の流れもあって蝶衣はアヘンに溺れてしまったし、菊仙も命を絶ってしまったし、というのが切ないですよね。追い詰められていくところが結構きつかったです。


京劇という「女」への嫉妬と覚悟。
面白いのは、蝶衣と小楼の二人の芝居に惚れているようにも、京劇そのものに惚れているようにも見える点で。この二人のセットって、菊仙が小楼に嫁ぐことと、芝居に「嫁ぐ」ことの両方に読めるんですよね。あり得ないくらい重なっている。菊仙が結婚を決意する直前、全財産をはたいて身請け金を積み上げるシーンの前に、二人の芝居を見て、それで途中で席を立って去っていくんですよね。あれで、未来を確信して結婚を決めたみたいな感じがしました。途中で席を立ったのは、この「女(京劇)」から小楼を奪わなきゃいけない、みたいなことを思わせられたのかな。


言葉を超えて通じ合う女同士。
今回、中の女同士のバチバチぶりが素晴らしいですよね。あのバチバチぶりが本当に見ていて怖くて、二人とも全然引かないんですよね。どちらかが引けばいいのに、二人とも引かないのが本当に怖かった。でも蝶衣のアヘン中毒の看病をしてあげるシーンとか。薬を買いに行くだけなら誰でもできるのに、わざわざあそこで菊仙に対して「寒い、お母さん」って言わせるのがずるいですよね。監督がずるい。結局、取り合っているんだけど、やっぱり分かちがたい関係になっていく。

小楼の結婚が決まった後、蝶衣は菊仙に対しては結構喋りますよね。最初はバチバチだったんだけど、小楼が捕まって助けなきゃという場面で、周りが止めるのに着替えて今にも飛び出しそうになっているところに菊仙が入ってきた途端、ツンとなって、メイクを片付けたりしながら「あなたなんて知らないわ」みたいな振る舞いをするのが素晴らしいですよね。あそこでまた別の戦いが始まるんですよね。菊仙もそれが分かっているから「ちょっと席を外して」と言って、二人が向き合って構えるんですよね。あそこで「私、別れてもいいのよ」みたいなことを言うのも、「愛に殉じる」というのは、身を捧げるという意味もあれば、奪うという意味の「愛に殉じる」もあって、その両方が描かれているのかなと。菊仙の手持ちカードの切り方がいつもすごいですよね、袁四爺に「新聞記者が待っています」と言うとか。結婚前に遊郭で全財産をポーンと投げ出して出ていくところもそうだし、そのあと小楼のところでコロッと変わって、「追い出されたの」と言うところもすごい。菊仙と蝶衣は、同じ男を愛した者同士として分かり合っているところもあった。だから仲良くはなれないけど、言葉を交わさなくてもすごく通じ合っているんですよね。

蝶衣と菊仙の関係には、あらゆる女性同士の関係性が描かれている気がするんですよね。母と娘みたいなところもあれば、姉妹みたいなところも、ものすごいライバル同士の憎しみのようなところも、全部描かれている気がします。それで二人がいなくなって、小楼が一人残される。すごい繋がりですね。シスターフッドというか。文革がなければ、もっと闘い抜いたからこその友情のような関係もあったかもしれない。みんなで70歳になっていたらいい感じだったのに。文革や大躍進政策の大失敗がなければ、みんなそうならずに済んだのかな。


「姉さん」という呼称をめぐって。
蝶衣が菊仙のことを一度だけ「姉さん」と呼ぶところがあるじゃないですか。私、中国語を勉強していたんですけど、あそこは声も小さいしよく聞き取れなくて、何て言ったんだろうと思っていたんですが、もしかしたら「姉さん」じゃなかった、ということもあるんですかね。「小姐(シャオジェ)」みたいなことを言っていた気がして。割と最後の方、小楼が覇王の鬘をかぶせられた後の場面です。鬘のバケツリレーの後で菊仙が蝶衣に外套をかけてあげて、蝶衣は「姉さん、ありがとう」と言って、でも着せてもらった外套を落として去っていく場面で、「シャオジェ」と言っていた気がするけど違ったかな。最初の方でも菊仙のことを「シャオジェ」と呼んでいましたよね。「姉さん」という意味の言葉があったみたいなんですよ。小楼が菊仙を蝶衣の前に連れてきて「俺たち結婚する。お前の姉さんになるんだから挨拶しろ」みたいなことを言った、それを受けて「服を着せてもらってありがとう」というやり取りで、それで「姉さん」と訳したのかな、と思ったんですが……もう一度見てみます。でも、あの演技は「ありがとう」の演技だなとは思って見ていました。服を着せてもらって「ありがとう、お姉さん」と言いつつ、その服をパサッと落としたのは、「ありがとう、でもあなたの情けはいらない」という意味だったのかもしれません。

せっかく着物をかけてくれたのに、それを払い落とすというのは、好意を無下にするような行為で……あれはやっぱり受け入れられないということだったのかな。役を奪われた(小四に役を奪われた)ことは、京劇そのものを奪われたことと同じで、その後、蝶衣は服を全部燃やしてしまいますよね。「媚びて役を得る」ということは、結局、娼婦と役者は同じなんじゃないか、というテーマが、子供の頃に服を焼いたエピソードと重なってくるのかな。

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3人の関係が崩れていった背景には、時代そのものの暴力がありました。次回は、文革という「焼き尽くす力」と、この映画が語ろうとした、あるいは語れなかった歴史について出た話です。