この映画は多くの嘘が描かれている。

この映画のテーマのひとつが嘘だと思いますが、その嘘がなぜ必要だったのか、そういった問いを与えてくれるような作品でした。

私達は嘘を必要としているのではないか?

この映画に登場する嘘の一つに、主人公のジョンドゥが兄の犯した罪をかぶって服役するというものがある。この嘘がなければ、ジョンドゥの家族は崩壊していたのかもしれない。お兄さんは一家の稼ぎ頭であり、家族を支える存在だったので、もしジョンドゥが罪を被らないでお兄さんが服役してしまっていたら、家族が崩壊していたかもしれない。

もう一つの大きな嘘としては、もう一人の主人公であるコンジュが社会福祉として与えられた障害者用のアパートに1日だけ住むというものがある。本来コンジュのために与えられたその障害者用アパートに住んでいるのは、コンジュ自身ではなく、彼女のお兄さん夫婦。

調査員が確認に来るその日だけ、コンジュはそのアパートに呼び出されますが、確認が終わるとまた一人で暮らしているボロいアパートに送り返される。この嘘をつくことによって得られるものがあって、その得たものをコンジュがお兄さんに与え、お兄さんはそれを受け取っている。

この映画に出てくる家族はそういった嘘によってギリギリのところで成立しているのではないか?

それと、コンジュが夜になると見える木の影を怖がり、それをジョンドゥが魔法を使って消すというやり取りがある。その魔法も映画に登場するたくさんの嘘のうちの一つ。しかし、ジョンドゥはクライマックスのシーンでその木によじ登り、枝を切ってしまう。魔法を現実のものにしようとした。

嘘は嘘で終わらせないことが大切なのではないか?

だからしんどい。ジョンドゥは嘘を嘘で終わらせず、現実のものにしようと行動ができる。ここにジョンドゥの魅力というか、生きづらさというか、周りの人がジョンドゥを煙たがる原因が詰まっているように思えた。だからしんどい。

それでもジョンドゥとコンジュは、嘘にある美しさも、現実にある残酷さも一緒のその景色を見てくれる、そういった風に見えたのが今回の救いだった気がします。

テーブルでご一緒させて頂いたみなさん、ありがとうございました。