重い腰をあげて、2回目も書いていく
なんとか第二回の感想ブログも着手しはじめました。今まで読書会に参加してもなかなか感想を書くことはなかったのに、今回なぜ感想を書きつづけ始めたのか。
そこがアーレントの影響というか、アーレントの言う仕事[work]をしないとな、と納得しているからなんだろうと思ってます。(これはきっとアーレントの言う仕事のはず)
読書会に参加して話をすることも大事だけど、その内容を自分なりにまとめて発信する事が、自分も含む誰かの何かに役にたつ。
そう思った気持ちを嘘にしたくなくて多分書き始めました。
(いきなり意識高くなってしまいましたが、どうか引かずにお付き合いください)
誤読が怖い
人間の条件についてすごくざっくりまとめた解説を見ると、人間の活動を「労働」「仕事」「行為」の3つに分けたんだよ!みたいな話で止まってる印象です。(もしかしたら自分の理解がそこで止まってただけかもだけど)
でもそれは第一章で説明終わってるから、第二章からはそれはわかってるよね?という前提でいろんな話がでてきたので、混乱しないよう期間の1ヶ月かけてゆっくり読み進めていきました。
線の引き方ってどうしてますか
読書の線の引き方って人によって癖が出るんじゃないかと思うんですが、皆さんどうしてますか。
(紙の本か電子書籍かでもちがうかもしれないですが)
今回紙の本で、響いたところ、一読しただけではよくわからないのでもう一回読みたいところを線引いていったら、
ページの半分以上が線引かれた状態になってしまいました。
特に難解な本って、線引かないと自分がどこまで読んでどこからまともに読んでないのか区別がつきづらいので、線引きすごく多いです。
皆さんはどうしているのか気になるのでよかったらコメント欄で教えてください。
第二章で印象に残った部分
相変わらず内容は理解できたのか理解できないのかわからないまま、第9節の私的領域の話と第10節の善の話が面白かったのでそこを抜き出して読書会に臨みました。
もはや理解がどうとかを飛び越して、シビれたのが次の2点(どちらも講談社学術文庫)
完全に私的な生活を送るということは、真に人間的な生活にとって不可欠なものを奪われている[deprived]ことを意味していた。すなわち、(略)自分の一生よりも長く続く何かを達成する可能性を奪われていたのである。
P93より
「自分の一生よりも長く続く何かを達成する可能性を奪われていた」という視点!個人の一生って、個人単位で見た時に死んだ時に閉じるもんだと無意識に思ってたけどそうではない?画家の絵みたいに仕事評価されたみたいな、社会的にそういうのはあると思うけど、自意識的には死んだらそこでおしまいよと。
めちゃくちゃ意識高いこと言うけど、目標を立てる時に自分が死んだ後も続くことを織り込んで考えるとか、そういう目線を持つ事ができたのでこの一文すごい好き。
より一般的な経験であるはずの孤独は複数性という人間の条件とあまりに矛盾しているので、人がそうした孤独に長期にわたって耐えることなど、とうていできることではない。だからこそ、善行にともなう孤独が人を破滅させてしまわないように、善行を見ていてくれる唯一の証人として神を想定しなければならないのである。
P112より
アーレント先生かっこ良すぎませんか?正直この辺、第二章の後半で体力も尽きかけで読んでたので、この一文でかっこいいーーー!でもこの文結局何言ってるのかわからんなぁと思って、もう一回善行について語られていたところから読み返しました。(善行の定義が一般的なものと違って初見で混乱)
読書会の様子と、立場のこと
今回から、この読書会にサポーターとして関わらせてもらいました。前回は完全に個人の参加者だったので、少しだけ立場が変わりました。実は5年ほど前にも一度、猫町倶楽部の時にサポーターをやらせてもらったことがあって、初めてで緊張というより久しぶりだな、という感覚でした。
また新たな気持ちで参加できたのが、素直に楽しかったです。
戸谷先生のレクチャーの後、読書会。
今回も「相手を否定しない」という鉄則のもと、2テーブルで感想を話し合いました。私のテーブルで自分が話したり印象に残ってたのは下記。
善行の部分に言及されている方が多かった。
感想を一巡した時、半分以上の方が善の部分に触れてた印象でした。そのくらいここは読書会的に話しやすいテーマだったのかなと思います。
ですが、戸谷先生の解説によるとここは人間の条件の中でかなり浮いているらしい、、そうなんだ。。まあRPGでもメインストーリーそっちのけでサブストーリーやミニゲームが面白くてそっちにはまっちゃった、とかそういうのもありますし、いいじゃないか。と開き直る。
富と財産の話。
レクチャーで出たポケモンカードの例――売れば1万円に還元されるが、その瞬間に思い出や固有性が消える――を、結構そのまま自分ごととしてとらえていました。
というのもつい最近カードゲームの32人大会に出てて、運良く優勝できたのですが、その賞品はメルカリで売ればそこそこ良い値で売れるけど絶対売らない。
でも仮に生活が困窮して売らなきゃいけないと想像すると、それは本当に悲しいと言うか胸が締め付けられる。
カードゲームはデッキ選択とプレイング、あとは運も噛み合って結果がでる遊びだと思ってます。そこで優勝できた時の喜びの記憶を、「そこそこ良い値」で金銭に換算して合意して売ってしまうと、記憶そのものが否定されているような。
職業と割り切っていたら別だけど、と感じたけどこの辺ってカードゲーム大会に出るのを労働と捉えてるのか行為と捉えてるのかみたいな議論ができそうでいいなと今更思いました。
「ととのう」と複数性。
サウナの「ととのう」みたいな私的な感覚を「みんな同じようにととのう」と言い出すと、複数性が消えて全体主義に近づくのでは、という意見も出て面白かったです。
二回目を終えて
第一章で掴んだ「自分の読書のクセをいったん横に置いて、アーレントの定義で読む」というコツは、第二章でも有効だったと思います。ただ第二章はそのうえで、公的・私的・社会的をそれぞれ整理しないと読むのが難しいなぁとも感じていました。
戸谷先生がレクチャーの最後に図解されてたのを見て、めちゃくちゃありがたかったです。
というか先生が節ごとに端的にまとめて、最後に図解していただいた構造を、そのまま一回自分でもやれば理解が深まるのでは、、?
でも振り返りってこうやって書くのも大変なのにまさかの予習もしっかりやるのは時間と体力いっぱいいっぱいになりそうなので、余裕があれば、、、
次回は第三章「労働」。
これから線引きまくりながら読んで、できれば節ごとにまとめたいなぁと思いつつじっくり取り組んでいきます。
線の引き方のことでも今回の感想でも、何でもいいのでよかったらぜひコメント欄に書き込んでいただけると本当に嬉しいです。励みになって、第三回も頑張って書ける気がします。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
それではまた。

