III. 焼き尽くされる時代、語られない歴史への居心地悪さ


ここまでは映画の中の人間関係についての話でしたが、今回は文化大革命という時代そのものについて出た話をまとめました。


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すべてを焼き尽くす文革という暴力。
それが文革のあの場面に繋がっていくから、文革というのは本当にひどいなと。過去の全てを燃やし尽くして……本当にひどいなと思いながらも、だからこそ悲劇に繋がっていくのかな。


単純な善悪を超えて描こうとする作り手の覚悟。
文革批判映画が文革終結後10年ほどして色々出たらしいんですけど、それは単純な善悪二元論だったらしいんです。でもこの監督(陳凱歌)はアメリカにも行って、もっと広い視野を持っていて、単純な悪と善では描いていない。自分も加害の一部だったというようなことも書いていますし、監督自身も紅衛兵として自分の父親を告発した過去がある人なので、そのあたり複雑な描き方だなと思いました。──今も感じますよね、一度炎上したらみんな話を聞いてくれなくなる、みたいな。これはずっと人間がやっていることなんだろうな、と。

語られない歴史、書き換えられる記憶。
不思議なのは、文革批判映画の時代があった後、この映画が作られたのは天安門事件から結構直後で、まだスタンスがはっきりしていなかった頃。天安門事件が終わって数年間は、天安門への批判の声が中国国内からも結構聞こえていたと思うんですよね。その時代だから作れたんじゃないか、と思って。その後、中国の歴史の中で天安門事件については抹消されていますよね。この映画って、今、中国国内で上映できるんですかね? ──微妙ですけど、みんな知ってはいる、という感じみたいです。学生の人たちに「この映画すごく好きなんです」って言いまくっているんですけど、みんな知っています。私が中国人の友達に聞いたのは、文化大革命の批判はしてもいいし、文化大革命党(当時の指導部)の批判もしてもいいんだけど、今の共産党の批判だけは絶対にしちゃいけない、と。だから天安門事件についても、民主化運動として教えているわけではなくて、なんというか、外部勢力による扇動活動みたいな形でしか教えていないみたいです。当時のニュースは、最初は中国で民主化運動が起こっていますと好意的に報道していたのが、突然戦車の映像に変わってしまって、うわっとなった記憶がありますね。

すみません、いろいろネットで調べたので言っちゃうんですけど、映画でも「四人組」という言葉がちらっと出てきますよね。文革で弾圧していた側に毛沢東の妻・江青がいて。子どもの頃にテレビで江青の裁判の場面を見たことがあります。眼鏡をかけて出てきて、めちゃくちゃ怖かった。

歴史的に、中国は自国の歴史を書くとき、直近の政権をめちゃくちゃ悪く書く傾向があるようなイメージがあって。それこそ毛沢東のこともすごくボロクソに書いたりとか。もっと昔で言うと、楊貴妃と安禄山のこととかもすごく悪く書かれたりする。自分たちの正当性を示すために、少し前の時代を否定するようなところがあるのかな。

大躍進政策の後は本当にひどかったみたいで、大躍進はあまり取り上げられていないですよね。それもまだタブーっぽい感じがあります。国外に逃げた人はいろんなところで体験を語っていますよ。国外に逃げた人と国内に残った人とでは、また体験が違うんでしょうね。大躍進を経験した世代はまだ生きておられますよね、1950年代の話なので。

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歴史の重さから少し離れて、次回は映画そのものの「仕掛け」の話です。舞台と現実が重なり合う演出や、鏡を使った映像、そして誰もが息をのんだあのラストシーンについて出た話をまとめました。