7/3のシネマテーブルで扱った『逃げた女』は語りがいのあるいい映画でした。

というのもこの作品は一切明示がないのです。
何から逃げたのか、そもそも逃げるとは何なのかが非常に分かりにくいのです。
でもその分かりにくさがすごく良くて、懇親会の話したりん部屋では参加者のよしうみさんが「引き算の美学」とホン・サンス監督の演出を絶賛されていました。

かく言う私も映画を観た直後は、内容に関してはぼんやりとしか把握できませんでした。
定例会までの1週間、頭の中で何度も反芻した内容が当日語ったことです。
それでもなお同じテーブルになった方々の語る解釈が、自分の頭の中にあるものと反応し、新たな解釈となっていきました。

以下2点は、定例会後にさらに頭に浮かんだものです。

前置きなしに記しますので、未見の方はご注意ください。



①髪を切ったこと

映画の冒頭、1人目の旧友と再会した際に交わした会話。

「久しぶり。髪切った?」
「そう。自分でお風呂場で切ったあと、美容院で整えたの」
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テーブルでは夫婦関係がうまくいってない説が出ました。
この会話シーンのシリアスな想像として、「自分で髪を切った」または「夫に髪を切られた」があるかもしれません。
状況にもよりますが、自分で無理矢理髪を切ることは、自傷行為の一つです。

この映画は起きていることしか映らない、いわゆる神の視点を持ちません。
もし、映画の冒頭で主人公ガミが自分の髪を切るシーンが挿入されていたら、観客は彼女を個人としてではなく”可哀想な女”として認識してしまう、もしくは他人として線引きしてしまう可能性があったかもしれません。

引き算の美学。ホン・サンス巧みです。



②波の映画について

映画の終盤、ガミは3人目に再会する友人の経営するミニシアターで一人映画を観ます。
その映画が浜辺で波が繰り返すだけの映画です。
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ラスト、映画館を出て元居た場所に帰る、と思いきや踵を返しまた映画館に戻ってしまうのです。そして波の映画をまた見続ける。

テーブルでは「映画館に戻るシーンは、彼女に帰る場所はないことを意味しているのでは」という解釈が出ました。
しかし、不思議な波の映画自体に何の意味があるのかは分かりませんでした。
波って何?


定例会後、この時の話し合いを思い出すと、そう言えば「マーシーさん(私)はホン・サンスの映画を他にも観てますよね。彼の映画で波って何かないんですか?」と聞かれました。その時は特に思い浮かばず。


定例会後、もしかしたらという解釈が思い浮かんだのでお聞きください。

過去作『夜の浜辺でひとり』(2017年)で、不倫スキャンダル(実話)で疲れた主人公(ガミも演じているキム・ミニ)が海外の浜辺でひたすら波を見続けるというものです。

要はホン・サンスの映画では波はメランコリック/憂鬱の象徴なのかもしれません。


で、ですよ。
話を戻すと『逃げた女』ではこの波の映画が映し出されるスクリーンが画面を覆いつくしてエンドロールに入って終わるわけです。

テーブルで私がお話しした「映画の中で映る映像(防犯カメラ、インターホン、スクリーン)は現実世界」説に照らし合わせると、波=憂鬱な、逃げ場のない世界は観客のいるここなんです。
波の映像で覆いつくす。つまり、最後は観客に向かって合わせ鏡をしたんです。

ホン・サンス~~!



そんな想像をしましたが、一切の明示がないこの映画。
すべては観客の解釈にゆだねられているので正解はありません。

『逃げた女』、久しぶりに観た後もずっと考えるという良い映画体験をしました。

おしまい