猫町倶楽部の遠足で文楽に行きました。みなさんとは国立文楽劇場で待ち合わせでした。

猫町ラウンジに入会してから3ヶ月ほどお世話になった早朝読書会(現在、起床が7時の生活に戻ってしまっていますが…)でお会いしていた皆様と、平家物語〜ワーニャ伯父さん〜聖書、その他の読書会を通して私の心の中でなんとなく「ともだち」のように印象づきはじめた方々がいます。私は、その人たちが本当にいるのを見ることも、同じ時間に集まって文楽を見るということも楽しみでした。

突然ですが私は、自分の内面で、大人の自分が、7歳〜9歳くらいの自分と話しているような感覚を持つことがあります。この文楽企画への参加を「遠足」と呼び楽しみにしていたのは、この私の内側にいる小学生の自分でした。この子が事前に何度も「来週日曜遠足だね」「明日遠足だね」「人形劇だね」「平家物語のやつだね」とか言ってくる感じ。今回の文楽は自分が行きたいというよりはその子を連れて行ってやらなきゃという感じで考えていました。だから当日、三宮から日本橋に向かう阪神電車の中でも、一人で電車に乗っている気がしなくて、小学生を連れて遠足に行く身内の叔母さんのような気分と、遠足を楽しみにしてた小学生のような気分の二人連れでした。

私は過去に一度だけ文楽を見たことがあったのですが(見たのは同じ国立文楽劇場で、演目は仮名手本忠臣蔵6段目のあたり)、そのときは大人の私だけで行きました。忠臣蔵の話もちゃんと知っているわけでもなく、猪が出てきたのが面白かったくらいで、あとは眠くなったりして、その時は文楽って何が楽しいんだ?すごい変わってるな・・・と不思議に思いながら帰った記憶があります。猫町倶楽部の今回の企画がなければ、もう二度と文楽は見に行かない人生だったんじゃないかと思います。

けれども今回は猫町倶楽部の人たちが集結するということへの好奇心と、平家物語への親しみもあり行きたくなりました。

長編読書会のおかげで平家物語に出てくる人々もなんとなく「ともだち」のように印象付いている気がします。今回の演目「ひらかな盛衰記:大津宿屋の段〜笹引の段〜松右衛門内の段〜逆櫓の段」は、平家物語には出てこないけど、木曾義仲が討たれた後の話なんだとわかると、自分の記憶にある木曾義仲周りのエピソードが手伝って、ちゃんと世界を想像させてくれました。文楽の「かしら」を見ているだけで充分にありありと登場人物の感情を想像してしまうのには驚きました。シュタイナー教育のウォルドルフ人形みたいに、顔に点々が二つだけみたいな人形のほうが、心情をのせて観やすい、っていう現象だったのかもしれません。

今回の話は権四郎と娘と孫が巡礼の旅をしているところから始まります。「値切るゲーム」みたいに明るく図々しく宿賃を値切って、部屋に落ち着いたらお布団に孫を寝かしつけて、隣の部屋で泣いてる子にも大津絵を1枚あげようという権四郎、最初からかなり人間ぽくて生き生きしてました。

この後夜に騒ぎがあって、孫の取り違えが起こります。相手がどんな人か分からない旅先って,ひとつの偶然が人生のおおきな分岐点になってしまうことがあるんだ。面白くもあり怖いなと思っちゃいます。

黙って観てますけど頭の中ではけっこう大騒ぎでした。松右衛門内の段で、なんと権四郎家の現在の婿が木曾義仲の家来、しかも逆櫓を習うために身を隠して夫になったって?梶原と頼朝ってあの逆櫓のことで喧嘩したよなあ・・・そうだ、どっかで逆櫓の技術を習ってきたんだろうから、こんな裏話もあるかもしれないよね。あの頃の武士はすぐ寝返って都合のいいほうについてたみたいなイメージあるけど、確かにあの、すごく近い身内にはビタッと惚れ込まれてる感じの木曾義仲の直属の家来なら、主君が死んだ後に敵討ちしようと思うかもしれない・・・などなど、色々なエピソード思い出しては小学生の私と大人の私の二人とも興奮して頭の中でお喋りしながら「人形劇」を観てた感じでした。

今でも思い出すと泣きそうな気持ちになるシーンがあります。それは権四郎ジイジが、婿が木曾義仲の家来で武士だとわかった後、自分も武士らしく振る舞わないといけないと思って「行き過ぎた適応」を示そうとした場面です。権四郎は孫の槌松、あのわんぱくがいつ帰ってくるか、帰ってきたらあの子が一番欲しがった鬼と餓鬼の大津絵をここに飾っておいたら喜ぶだろうと飾っておいた絵を引きちぎり投げます。悲しいのはそのあと。槌松君のおいずり(巡礼のとき羽織る、住所なんかを書いている、薄い布でできたベストみたいなやつ。ここに住所書いてあったから権四郎はいつか孫が帰ってくるって安心してたし、お筆も訪ねて来られた)を「どことなりとっとと捨ててしまへ」と言います。そしたら婿がちゃんと弔いましょうと言います。そこで権四郎は「あの侍の親になって、未練なと人が笑ひはしないか?」と言うんです。笑われることなんかない。と婿が言うと、ジイジは安心して,実は弔いたかったんだと言います。

私はなぜここで泣きそうになるんだろうなとあの文楽の日からときどき考えます。
社会的な立場が変わったことで、孫を弔いたい気持ちをぐんと反対方向に押しのけて、むしろ疎ましいものみたいに言い放ってしまった権四郎の佇まいが、なんだかめちゃめちゃ悲しいんです。人間ってこういうとこあるよね悲しいねほんとにね。どう思うみんなどう?と,私はみんなに熱弁して聞いてまわりたいような気持ちになります。

文楽の舞台をどんな風にみていたか後で思い出すと、私は基本的には舞台の人形たちを見ながら太夫さんの語りと三味線を聴いていました。ときどき太夫さんと三味線の方も観ましたが、観るたびにすごい迫力で、特に権四郎と松右衛門のやりとりのシーンの太夫さんの語りにはやられました。胸ぐら掴まれてるような感じがしました。太夫さんも泣いてるじゃん!と思いました(泣いてないんだけど、そんな風にみえた)。

で、昔研修で福音館書店の松居直さんの話を聞いたことがあるのを思い出しました。「絵本は読んでもらうものです」と松居さんは言ってて、どういうことかというと、読んでもらうとき子どもは絵をみている。すごく細かいところをみながら話を聴いていて、聴きながら、ときどき読んでくれる人の顔を見たりする。気がついたことについて話したりする。そのやりとり全部含めて絵本体験なんだ、そういうことを想定して絵本を作っているんだと話していました。

それでまた思い出しました。私子どもの頃、絵本読んでもらった記憶がほとんどない。寝る前はおかーさんが「お話でてこい」っていうカセットテープの昔話をセットして部屋を暗くして出ていく。そのカセットテープはおじーちゃんがラジオ番組をラジカセで録音したお手製?のものだったので、テープが端っこまできたら大きい音で「ガチャッ」っていうのだ。私それが怖くて怖くてそのタイミングが来る前に寝てしまいたいといつも願ってた(今でも目覚まし時計が鳴るのとか怖いからセットしないし、どうしてもセットしないといけない日は、絶対、鳴る前に起きる)。

だからかな、私、大人になってから絵本が好きになって、仕事でも子どもたちに向けてたくさんたくさん読んだけど、それでもやっぱ読む方では満足してなかったのかなという気がする。今回文楽観た後、あー今日はでっかいすんごい絵本読んでもらっちゃった…ってほくほくした気持ちがあった。

そういえば私の1番好きな映画は「The Fall 落下の王国」というのですが、それも小学生くらいの子が、通りすがりの男に、めちゃくちゃ面白いお話を話してもらう話だった。私はだれかにお話をしてもらうのが好きなのかもしれない。江戸時代とかに生まれてたら、寺子屋に行かずに、浄瑠璃練習しているオッチャンの家の裏とかで座り込んで浄瑠璃聞いてたい子どもだったかもしれない。

文楽が終わったら、話しかけられる人には少しだけ話しかけて、あの人はこの人だ!って遠くから確認したりもして、「ああほんとに、みんないるんだ。」と思いました。それでまた阪神電車に乗って、一人なんだけどまた二人(小学生と叔母ちゃん)の気分で「いやー楽しかったねー」と(心の中で)言いながら帰りました。

文楽を観て、みんなはどんな気持ちになるんだろう。私はこんな気持ちになった。忠臣蔵も何かの本を一冊読み込んでからまた観てみたいなーと今は思う。

さいごになりましたが、企画してくださったみなさま、素晴らしい機会をくださり、どうもありがとうございました。

(おわり)