生きるためのフェミニズムについて

少し前、私の家政夫ナギサさんというドラマを観ていた。
製薬会社のMRである主人公は、家事全般が苦手で、家政婦紹介所から紹介されてきた男性を雇うのだが、
やがて恋愛関係になり2人は結婚する話だった。

衣食住に関することが災害時にも最優先である、命の基本であることはよーーーく分かってるが、
家事が苦手で、専業主婦であった時代も手に負えなかったワタシは、自分が賃金労働で稼いだお金で、「自分ちの家事」という非賃金労働をアウトソーシングするのは実に理にかなった方法だと思った。

というか、いつも、それがやりたくて仕事をしたい、お金を稼ぎたい、と思っていた。

精神的に参った時は、
「ママはお料理が嫌いなの。
自分でお金が稼げないから、やりたくないこともやらないといけないの。
あなたたちも、将来、経済的に自立しないと、やりたいことができないのよ」
娘たちには呪いのような言葉を聞かせてしまうこともあった。

新卒正社員→結婚退職、出産→非正規雇用(扶養範囲という忌わしい)→脱扶養を果たしたとはいえまだ非正規雇用
という、社会構造にハマったワタシは、
女性の平均賃金より、さらに低い賃金だけれど、
今は、誰かにお金を払って家事を(予算内で)やってもらう選択肢を手にできた。

なにより嬉しいのは、
夫の被扶養者で無くなったことで、
健康保険証に、本人と書いてあることが、その証で誇りになった。

たぶん、これがワタシにとっての薔薇なのではないか、今のところ思い当たった。
やりたくないことを、やりたくないと言えること。
やりたいことを、誰かの許可や承認なしにお金で実現できること。

昨日の読書会では、
ベーシックインカムがあれば、
やりたくないことを仕事にしなくていい自由が生まれる、という意見があった。
それは家事、ケアワークを含めてだと思う。
ケアインカムを含む、ベーシックインカムにワタシは賛成だし、
もしベーシックインカムがあっても、ワタシは家の外で働いていたいと今のところ思っている。

家政夫ナギサさんのその先が気になる。
今まで賃金労働だった主人公の家事全般が、
恋愛、結婚という過程を経て、非賃金労働になって、
ナギサさんはどう思っているのだろう。

愛情だけで、非賃金労働をするのは、
やりがい搾取と言えるのではないかと、
家事が大嫌いなワタシは思っていた。

追記:
よく、お金がもらえなくてもこの仕事がしたいくらい好き、
というセリフを聞くことがあるけど、幸せなことだと思う。
お金がもらえなくても家事労働がしたいとワタシは思わなかったし、
お金がもらえなくてもしたいと思うような仕事には出会ったことがない。

結婚して愛情から家事をし、扶養家族として扶養されるということを家事労働の報酬と考えることもできるのかもしれない。
でも、それはワタシにとってはパンであって、薔薇ではなかった。

(専業主婦を否定する気持ちはまったくなく、
家事が苦手で要領の悪いワタシ個人の考えであること
また、夫氏はモラハラではなく、ワンオペはおかしいとかそういうことが言いたいのではないというとを、
念のため書いておきます。)